◆1534年◆いざ出陣〜上杉家の野望1


    扇谷上杉家の当主は,この朝興である。
    これより,当主自ら上杉家の歴史を語って進ぜよう。

  【1534年春】

 突然,領内のものがすべて定量的に把握できるようになりおった。これは便利じゃ。優劣が簡単に決められるのでな・・・。

 早速,領内の状勢と近隣の動向を窺う事にしよう。基本じゃな。我が扇谷上杉家。衰えたりと言えど,もともと関東管領の家柄(分家だがな),その威光は未だ天下に,のはずじゃ。どれどれ。う〜む,チト違うようじゃな。

 まず領内のことであるが,城は河越,松山,岩付,滝山の四つある。北条に江戸を奪われているのが痛い。いずれ取返してやる。持っている城はすべて街道で結ばれておるので,余がいる河越への物資の集積に問題はない。武将は四人いるのじゃが,能力が数字でみえるようになるといかにも不安な連中ばかりじゃ。上田,大石,太田らは,合戦にはあまり出さず内政を担当させるよりあるまい。太田のところの世継ぎが元服するまでは,余自ら兵を率いるより他に手はないようじゃ。大名直卒ともなると弱兵でも一応数だけは揃うからな。

 次に,目を外に向けてみよう。

 まずい。まずいまずい。実にまずい。今朝の食事ではないぞ。南の北条のことじゃ。実に優秀な家臣団のようじゃ,羨ましい。こんなのがまともにこちらへ向かってきたら,一大事じゃ。東方は概ね友好的であるし,西は,武田信虎殿と同盟した上親戚ともなっておりまずまずのはずじゃ。北の宗家の山内上杉との間にも同盟関係がある。当然じゃな。実を言えば,少々仲たがいが始まった感じもあるがな。現当主はお若い憲政殿じゃから,余が関東管領を引き受けてもよいといっておるのじゃが・・・おっと,いけない。こういう事を言うから,友好度が下がってしまうのじゃ。これは山内上杉へは内密にしておいてくれ。

 東,西,北に敵らしい敵はおらぬ以上,我が扇谷上杉の敵は,やはり北条じゃな。まずは兵を集め,鍛える事にせねばなるまい。早速領内の城のすべてに動員を命じたのじゃ。これから忙しくなるぞ。そんなこんなで春は過ぎていった。

  【1534年夏】

 北条の様子はどうじゃろう?おっ!これは絶好の機会到来やもしれぬ。江戸・玉縄にあわせて三千余しか兵がおらぬではないか。となると問題は,江戸城にいる風魔小太郎,遠山綱景の二人じゃ。綱景はともかく小太郎はまずい。いかが致すべきか。ここで乾坤一擲の勝負に出るか。それとも次の機会を待つか。

 やはり出陣じゃ。関東公方である晴氏様も上杉家に友好的なので,うまくすればその威光によって他の大名達が静観していてくれるかもしれない。まずは河越の全軍を余自ら率い,他に滝山城の大石にも兵を出させるか。これで総勢一万三千強,いけるはずじゃ。情けないが,この時期まだ河越の兵力は一万に達してなかったのじゃ。

 河越を出て江戸へ進軍中,千葉城の千葉氏が北条と結託して兵を挙げおった。こちらには手が回らぬ。やはり早まったのか?引き返すべきか,それとも先に千葉を攻めるか?

 そこへ,晴氏様参陣の早馬が来た。これで千葉氏は気にせず,全力で北条に向かうことができるというものじゃ。しかも,此度の出陣には公方に弓引く反逆者を討つという大義名分まで付いた。これなら勝てる。総勢二万を超える足利・上杉連合軍の前に,北条勢は早々に篭城を覚悟したようじゃ。一方,千葉昌胤めはそのまま千葉城外で足利勢を迎え撃つ構えらしい。とにかく東の脅威は消えたので,全軍を南に向けたのじゃ。

 まずは,兵がいない玉縄城を攻めてみた。小手調べと言うやつじゃ。本丸攻撃の際に若干兵を失ったが,それでも兵力は十分に温存できたようじゃ。休まず江戸城攻略に向かう。ここには,小太郎が足軽三千とともに篭っている。玉縄城のようなわけにはいかぬはずじゃ。

 全軍で東側の門から攻め入る。一万ばかりの兵じゃ,二手に分けても仕方あるまい。北条勢はこの城を守るには兵が足らぬと見えて,本丸まではさしたる抵抗もなかった。二の丸を落とし残るは本丸だけとなったときに,千葉城から早馬で公方様が千葉城を落としたことを伝えてきた。千葉昌胤はどこぞに落ち延びて行ったらしい。北条強しの声に躍らされ,時局を読み間違えたものの末路じゃ,哀れなものよ。

 さて,本丸に篭った小太郎であるが,やはりただ者では無かった。先鋒の大石勢も苦戦しておるようじゃ。兵を半数以下に減らされ,あと数度突撃を受けると持たぬかも知れぬ。本陣部隊を率い,余自ら突撃をしてようやく撃退した。あとは綱景の数百の兵だけである。数刻後,上杉の幟が江戸城に翻っておった。

 戦後処理は苦も無かった。江戸・玉縄両城は我が上杉家の領有となり,城主が逃亡した千葉城は公方様自らが入り,古河には足利義明殿が残ったようじゃ。千葉の南には北条と敵対する里見氏もおるので,いわば北条包囲網の完成といったところじゃ。ではあるが,残る小田原,韮山を落とさぬうちは枕を高くはできぬな。いずれにしても朝定には家督を譲るのは,北条を滅ぼしてからのことじゃ。いつになる事やら。

  【1534年秋・冬】

 秋になると千葉城より使者が参った。この夏の北条・千葉連合軍との合戦で,ともに戦った足利晴氏様(関東公方は関東管領の主筋じゃ)より同盟せぬかとのお誘いじゃ。断る理由も特にないのでお受け致した。これで山内上杉よりも我が扇谷上杉の方が頼りになると世間でも認めてくれるじゃろう。新たに領土に加わった玉縄城近辺は何年ぶりかの豊作らしい。いよいよ上杉の世になるのかの。

 この冬は領内の整備に努めた。河越,江戸の近辺は整備さえすれば,広大な田畑や街ができるほどの平地続き。少し重点的に開発することとした。財力のある小田原をもつ北条に対抗するためには,まずは領内の開発と兵の鍛練しかあるまい。資金に余裕があれば馬も買いたいところじゃが,兵の動員と領内の開発以外に使える資金はない。騎馬隊はあきらめるより仕方あるまい。

 こうして激動の一年がようやく暮れようとしておった。北条との戦いはまだこれからじゃ。


1998.2.22(一部修正) Ver1.1


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