2日目に案内してくださったゆきえさんからいろいろアドバイスをいただき、 訂正を加えました。茶色い文字になっています。 せっかく教えていただいたことも、私に違いがわからなくて、書けなかったこともあります。 調べて、おもしろい、と思ったことでも、もっと奥深いことのような気がして書かなかったこともあります。 「文化」ということを改めて考えた数週間でした。もう少し奥を深めて、またバリに行きたいです。 お詫びと訂正、そして感謝です。
バリ島にはニュピという変わった日がある、と聞いたのは、もうずいぶん前のことだ。普通、観光客は、この日に当たると、大損をした気になるだろう。なぜなら、“バリ人が一日働かない日”だからだ。あらゆるお店も、空港も、ホテルも、その機能がストップする。そして、「今日は、外出してはいけない」と言われてしまうのだ。唯一、観光客相手のホテルだけが限られたルームサービスメニューを提供するほかは、何もない。何もできない。 このニュピの日にバリ人が働かないのには、訳がある。 ニュピとは、バリ島に三つある暦のうちの一つ、サカ暦の新年に当たり、西暦2001年3月25日が、サカ暦1923年の“お正月”だそうだ。サカ暦は太陰暦で、毎年3月か4月の新月の翌日がサカ暦の新年となる。 新年を迎えるに当たって、バリ人は周到な準備をする。まず、ニュピの前々日、家に祀っている神々や神具を海辺で清める、ムラスティという行事がある。一族が連れ立って海へ向かうので、長い長い行列になったり、ぎゅうぎゅう詰にトラックに乗ったりする。しかも、色鮮やかな正装をして、晴れやかな笑顔を見せながら、ジャカジャカ ジャカジャカ、鳴り物を鳴らして行くので、その勢いには圧倒されるが、華やかな、見応えのある美しさだ。 続くニュピ前夜には、オゴオゴという祭りがある。同じくオゴオゴと呼ばれる悪霊を模った人形を担いで、町を練り歩く、、、いや、練り走る、ねぶたとだんじりが一緒になったような祭りだ。オゴオゴ(祭り)はバンジャールと呼ばれる村ごとに行われるが、私が見たBALAI BANJARでは16基のオゴオゴ(人形)が出た。オゴオゴ(人形)は、それぞれ10数人から数十人の仲間毎に作られ、担がれる。このオゴオゴは、竹で形作られ、その上に紙やスポンジを張って色を塗られる。中には小学生くらいの子どものグループもあるが、どれを見ても素人技とは思えず、さすがは芸術の島、バリだと感心をする。中には揺するとわっしわっしと手が動くように小技を効かせたものもあって、出番前に揺すって効果を確かめていたり、晴れ舞台への余念がない。この祭りの賑やかさは、爆竹にもある。爆竹の筒を載せた台車があり、オゴオゴと共に練り歩く。中にはバズーカ砲のように肩に担いでドッカーンとやる、どでかい爆竹があったり、口にガソリンを含んで火を吹く人がいたりと、ハンパではない。――こうして村内を引き回されたオゴオゴは、悪霊がそこに宿らないように、やはり浜辺で、焼かれてしまう。 バリ人は、神を祀り、悪霊にも気を遣う。善も悪も、共に存在するものである、というのがバリ島のコスモロジーだ。だからこそ、人々は、日々神に参ることを忘れない。 このオゴオゴの夜が更けると、夜半の1:00から、いよいよニュピが始まる。 ニュピが始まると、先ほどまでの騒ぎと喧騒はすっかり姿を鎮め、静寂の一日が始まる。24時間、働かず、食べず、眠らず、水も飲まない。火をつけること、感情が動くことをしてはいけないのだそうだ。この厳しい戒律を守る家は今でも多く、ただひたすら静かに、瞑想などして過ごす。ニュピとは、バリ人が自らのあり方をゼロに戻す、大事な日なのだ。 数日の日程しかない観光客がこういう日に出あうと、せっかくのリゾートのサービスも受けられず、丸一日を奪われた気持ちになるのだろうが、内側から、バリ人の視点から過ごすことができれば、それは全く違う体験になるのではないか、というのが今回私が参加した「バリ島ニュピ体験ツアー」だ。
ツアーとは言っても、友人たちが企画し、参加者もみな顔見知りだ。旅行会社のパックツアーとはちょっと違う、つながったものを持った者同士の集まりだったし、そもそもこの企画が実現していること自体が素晴らしいつながりの一つの形なのだろう。 企画者は、つなぶち氏。人の意識が変わっていくことで世界や地球環境を変えていきたいと願い、ヒーリングライティングという講座を開いている人だ。ミゲル・コバルビアスの『バリ島』(平凡社)を読んで、「リゾートだけではないバリ」に関心を持ったそうだ。しかし、企画だけでは“内側からのバリ”は実現しない。そこでこの企画のコーディネーターとして要の役割を果たしているのが、つなぶち氏の友人、関氏だ。関さんはバリ大学に留学し、田んぼの水利組合というネットワークを勉強した人で、したがってインドネシア語も話すし、バリ人の友達も多い。 その関さんがニュピのナビゲーターとして紹介してくれたのが、留学時代の友人である、スカワティ王朝の流れを汲む王族の一人、ラーマさんだ。この一族のことは『踊る島 バリ』という、PARCO出版から出ている本に詳しいが、アグン・マンダラ財団という、舞踏やガムランで世界的に有名な財団を所有している。(ラーマさんのおじいさんが、はじめてバリの舞踏やガムランなどの芸術を海外に紹介した、この財団の創設者だ。)舞踏やガムランは、バリでは祭りや祈りと直結している。ラーマさんは、まさしくニュピのナビゲーターとして、最も適した人なのだ。しかもラーマさんの奥様は日本人で、ラーマさんも日本語を話す。これ以上の人は望めない。 この3人が出会って、初めて実現しているツアー。私がとても嬉しかったのは、3人が、それぞれに、この出会いと実現に感謝をしていることだ。関さんとラーマさんは、ラーマさんのおじいさん(マンダラ財団の創設者)からバリの文化や精神を世界に伝えていくことを使命として与えられていたのだそうだ。ソフトは山ほどある。しかし、ハードがない。そこに持ち込まれたのが、つなぶちさんの企画だったのだという。以前ある人が、つなぶちさんを「人と人をつなぐ人」だと言った。その通りだと思う。つなぶちさんは、ツアーをすることで、本を書くことで、人と人をつないでいる。それぞれの人の、自分の力だけでは成し得なかったことへの感謝が、このツアーを一層気持ちのいいものにしているのは間違いなかった。