バリ島――Nyepiの日


ニュピって何だ?
一つであり、部分であること
動機
おまけ(=この旅の本質)
バリ行きの決心
人間関係の力――1日目
祭り――2日目
ブサキ参り――3日目
プリ・バンサルへ ニュピの始まり――4日目
ニュピ――4〜6日目
感謝――6日目
それからのこと


2日目に案内してくださったゆきえさんからいろいろアドバイスをいただき、
訂正を加えました。茶色い文字になっています。
せっかく教えていただいたことも、私に違いがわからなくて、書けなかったこともあります。
調べて、おもしろい、と思ったことでも、もっと奥深いことのような気がして書かなかったこともあります。
「文化」ということを改めて考えた数週間でした。もう少し奥を深めて、またバリに行きたいです。
お詫びと訂正、そして感謝です。




ニュピって何だ?

 バリ島にはニュピという変わった日がある、と聞いたのは、もうずいぶん前のことだ。普通、観光客は、この日に当たると、大損をした気になるだろう。なぜなら、“バリ人が一日働かない日”だからだ。あらゆるお店も、空港も、ホテルも、その機能がストップする。そして、「今日は、外出してはいけない」と言われてしまうのだ。唯一、観光客相手のホテルだけが限られたルームサービスメニューを提供するほかは、何もない。何もできない。
 このニュピの日にバリ人が働かないのには、訳がある。
 ニュピとは、バリ島に三つある暦のうちの一つ、サカ暦の新年に当たり、西暦2001年3月25日が、サカ暦1923年の“お正月”だそうだ。サカ暦は太陰暦で、毎年3月か4月の新月の翌日がサカ暦の新年となる。
 新年を迎えるに当たって、バリ人は周到な準備をする。まず、ニュピの前々日、家に祀っている神々や神具を海辺で清める、ムラスティという行事がある。一族が連れ立って海へ向かうので、長い長い行列になったり、ぎゅうぎゅう詰にトラックに乗ったりする。しかも、色鮮やかな正装をして、晴れやかな笑顔を見せながら、ジャカジャカ ジャカジャカ、鳴り物を鳴らして行くので、その勢いには圧倒されるが、華やかな、見応えのある美しさだ。
 続くニュピ前夜には、オゴオゴという祭りがある。同じくオゴオゴと呼ばれる悪霊を模った人形を担いで、町を練り歩く、、、いや、練り走る、ねぶたとだんじりが一緒になったような祭りだ。オゴオゴ(祭り)はバンジャールと呼ばれる村ごとに行われるが、私が見たBALAI BANJARでは16基のオゴオゴ(人形)が出た。オゴオゴ(人形)は、それぞれ10数人から数十人の仲間毎に作られ、担がれる。このオゴオゴは、竹で形作られ、その上に紙やスポンジを張って色を塗られる。中には小学生くらいの子どものグループもあるが、どれを見ても素人技とは思えず、さすがは芸術の島、バリだと感心をする。中には揺するとわっしわっしと手が動くように小技を効かせたものもあって、出番前に揺すって効果を確かめていたり、晴れ舞台への余念がない。この祭りの賑やかさは、爆竹にもある。爆竹の筒を載せた台車があり、オゴオゴと共に練り歩く。中にはバズーカ砲のように肩に担いでドッカーンとやる、どでかい爆竹があったり、口にガソリンを含んで火を吹く人がいたりと、ハンパではない。――こうして村内を引き回されたオゴオゴは、悪霊がそこに宿らないように、やはり浜辺で、焼かれてしまう。 
 バリ人は、神を祀り、悪霊にも気を遣う。善も悪も、共に存在するものである、というのがバリ島のコスモロジーだ。だからこそ、人々は、日々神に参ることを忘れない。
 このオゴオゴの夜が更けると、夜半の1:00から、いよいよニュピが始まる。
 ニュピが始まると、先ほどまでの騒ぎと喧騒はすっかり姿を鎮め、静寂の一日が始まる。24時間、働かず、食べず、眠らず、水も飲まない。火をつけること、感情が動くことをしてはいけないのだそうだ。この厳しい戒律を守る家は今でも多く、ただひたすら静かに、瞑想などして過ごす。ニュピとは、バリ人が自らのあり方をゼロに戻す、大事な日なのだ。
 数日の日程しかない観光客がこういう日に出あうと、せっかくのリゾートのサービスも受けられず、丸一日を奪われた気持ちになるのだろうが、内側から、バリ人の視点から過ごすことができれば、それは全く違う体験になるのではないか、というのが今回私が参加した「バリ島ニュピ体験ツアー」だ。




一つであり、部分であること

 ツアーとは言っても、友人たちが企画し、参加者もみな顔見知りだ。旅行会社のパックツアーとはちょっと違う、つながったものを持った者同士の集まりだったし、そもそもこの企画が実現していること自体が素晴らしいつながりの一つの形なのだろう。
 企画者は、つなぶち氏。人の意識が変わっていくことで世界や地球環境を変えていきたいと願い、ヒーリングライティングという講座を開いている人だ。ミゲル・コバルビアスの『バリ島』(平凡社)を読んで、「リゾートだけではないバリ」に関心を持ったそうだ。しかし、企画だけでは“内側からのバリ”は実現しない。そこでこの企画のコーディネーターとして要の役割を果たしているのが、つなぶち氏の友人、関氏だ。関さんはバリ大学に留学し、田んぼの水利組合というネットワークを勉強した人で、したがってインドネシア語も話すし、バリ人の友達も多い。
 その関さんがニュピのナビゲーターとして紹介してくれたのが、留学時代の友人である、スカワティ王朝の流れを汲む王族の一人、ラーマさんだ。この一族のことは『踊る島 バリ』という、PARCO出版から出ている本に詳しいが、アグン・マンダラ財団という、舞踏やガムランで世界的に有名な財団を所有している。(ラーマさんのおじいさんが、はじめてバリの舞踏やガムランなどの芸術を海外に紹介した、この財団の創設者だ。)舞踏やガムランは、バリでは祭りや祈りと直結している。ラーマさんは、まさしくニュピのナビゲーターとして、最も適した人なのだ。しかもラーマさんの奥様は日本人で、ラーマさんも日本語を話す。これ以上の人は望めない。
 この3人が出会って、初めて実現しているツアー。私がとても嬉しかったのは、3人が、それぞれに、この出会いと実現に感謝をしていることだ。関さんとラーマさんは、ラーマさんのおじいさん(マンダラ財団の創設者)からバリの文化や精神を世界に伝えていくことを使命として与えられていたのだそうだ。ソフトは山ほどある。しかし、ハードがない。そこに持ち込まれたのが、つなぶちさんの企画だったのだという。以前ある人が、つなぶちさんを「人と人をつなぐ人」だと言った。その通りだと思う。つなぶちさんは、ツアーをすることで、本を書くことで、人と人をつないでいる。それぞれの人の、自分の力だけでは成し得なかったことへの感謝が、このツアーを一層気持ちのいいものにしているのは間違いなかった。




動機

 私がこのツアーに参加することを決めたのは、一昨年、初めてツアーが行われた時の話を聞いたからだ。ニュピの日には、人工的な音が何もしない。ただ、自然の音があるだけだ。自然の音には時の流れがあって、鳥には鳥の時間、犬には犬の時間がある、と。
 都会に住まうと、どうしても音や光に鈍感にならざるを得ない。いつもどこかで、電気や空調の音がして、遠くの音も、建物の間を縫って、どこからの音も同じ方向から聞こえてしまう。建物の中では、昼間から電気がつき、いつ暗くなったのか分からない。夜の道すら明るく照らされ、足元を危うく思ったこともない。
 こんな中で感覚を全開にしたら、壊れてしまいそうだ。御蔵島や屋久島など旅行に行ったり、山に登ったりすると、ほっとする。感覚をどこまで広げても、暴力的なものには当たらないから。
 バリの、人工的な音の何一つない中でぽやっと座って、音によって時間の移り行きを感じていく。そんな体験がしたかった。



おまけ

 実際に参加をして実感したが、このツアーには、たくさんのおまけ(?)が付いていた。「ニュピの体験」なんていう言葉からは想像もつかないくらい、バリ人が生きている場所を、垣間見させていただいた。
 まずは、ラーマさんにブサキ寺院のお参りに連れて行っていただけるのだ。ブサキは30余りの寺が集まったバリ・ヒンドゥー教の総本山で、観光名所だが、お参りをするとなると簡単にはいかない。バリには地方ごとに王族がいて、ブサキには、その王族ごとの寺がある。そして、全てのバリ人はそのいずれかに属していて、バリ人がブサキ寺院に参るとは、それぞれの一族が所属する寺に参ることを意味するのだそうだ。実際に私が行ったときにも、熱心に祈りをささげる人々がいた。一方、普通の観光客は、境内には入れない。有名な割れ門を通って、通路を回るだけだ。バリ人が一緒でないとお寺に参ることはできず、しかもラーマさんは、その寺を祀る王族なのだ。
 ここに入るためには、クバヤとサロンで正装をしなければならない。レンタルや出来合いのものもあるのだが、「どうせなら体に合わせてつくった方がかっこいいよ」とつなぶちさんの提案で、お世話してくださる、ゆきえさんにサイズを送った。ゆきえさんは、バリ舞踊の踊り手として、もう7〜8年もバリで暮らしているそうだ。
 有力者、ラーマさんと、バリに根づいて暮らしているゆきえさん。このお二人が、普通の観光ではなかなか見られない、バリの深い部分へとナビゲートしてくれた。



バリ行きの決心

 話を少し戻すが、今回の旅行に行くに当たっては、自分のエゴを意識せざるを得なかった。
 毎年年末に行われていた職場の研究報告会が、昨年は3月に変わった。今年もきっと3月だろうが、年度末にあまり押しつまると、各企業の重責を担われている我が協会の理事の方々がお忙しいので、3月の早い時期に、、、という“予定”に望みを託し、ツアーに申し込んだ。しかし、果して、重なってしまった。
 旅行を中止した方がいいのは、歴然。しかし私のエゴは「どうしても行く」と頑固に突っ張り、一方では周りの目を気にして、気持ちが萎縮する。
 ようよう、「誰に何を言われても休む」を割り切った時、理事長の都合で報告会の日程が変わり、予定していた延泊を取りやめれば間に合うことになった。名目上私は研究グループの責任者で、当日だけでなく、事前の準備だって大切だ。当日いればいいってもんじゃない。――再び迷いだしたが、旅行に行く決心は変わらなかった。しかし、延泊は取り止めた。
 延泊の取り消しは、飛行機の変更料も含めて2万4千円かかった。これは、延泊分の宿泊代や行こうと思っていたルンバルンバツアー(ドルフィンウォッチング)その他もろもろに相当する金額だ。楽しみがなくなった上に痛い出費だが、どこで何をしていようと「この日」にそれだけのお金がかかることになっていたのだ、と思ったら、簡単に割り切れた。
  そしてまた、報告会の日までに帰ってこなくても、私を囲む状況に変化はないんじゃないかと感じた。人生の中で必要な状況は、自分がどんな方法を選んだにせよ、やってくるのではないか、と。つまり、もし私の学びに「孤立」という状況が必要なら、どんなに避けようとしても、それはやってくるだろう。行くのがエゴなら、帰ってくるのもまた、「周りからの痛い目」から逃れたいエゴに過ぎない、と思いながら自分の決めたことを尊重することにした。
 心が座れば、後は簡単だ。行くまで、いない間、帰ってきてからの周囲の予定と私のスケジュールを表にして、上司に渡した。上司はそれをじっと見て、にっこり笑いながら「大変だけど、よろしくね」と言った。
  とにもかくにも、これが私のGOサインだった。



1日目――人間関係の力

 バリ行きの飛行機は、直前の予定変更などのために、関さんと私だけ、他のメンバーとは違う飛行機になった。デンパサールに着いて、3〜40分、後続の飛行機の到着を待つ。
 その間に、関さんはいきなり、偶然側にいたバリ人に「Oh〜!」という感じで話しかけ始めた。留学時代のレンタバイク屋のおやじだと言う。お互いに「前はもっと痩せていたぞ」風のことを言っている。
 20年も前の一客を、覚えていてもらえる。――関さんの持つ、パワーだと思う。
 そう、関さんも、つなぶちさんも、客として参加した信國さんもそうなんだけれど、今回同行の男性陣は、人の記憶に残る、忘れられない、皆そんなパワーを持っている。いや、もちろん忘れられていることもあるのだが、思い出させるための“芋づる”の端っこを、ちゃんと投げかけることができる。
 「どうせ、私のことなど誰も覚えていないに違いない」と引っ込んでしまう私との、えらい違いがそこにある。始めから、人と向き合う姿勢が違うんだと思う。
 人に忘れられると思っている私は、人のこともすぐに忘れてしまう。「れいこちゃん、そんなふうに(人は私のことなど忘れてしまうと)思ってたんだ。だから、すぐ人のことを忘れちゃうんだよ。私のことも覚えてなかったでしょ。れいこちゃんは、印象的な人だよ。私、忘れられなかったもん。」今は友人となったある人からそう指摘されたとき、返す言葉がなかった。私とは正反対の彼らと6日間びっちり一緒にいることは、必ず、何かを自分に与えるだろうと思った。
 一泊目、ウブドの宿は、チャンプアンホテル。夜ホテルに着くと、ラーマさんが出迎えてくださった。明日からの話を聞いて、胸が躍る。



2日目――祭り

CYAN  チャンプアンホテルは、バリ絵画に絶大な影響を与えたオランダ人の画家、ウォルター・シューピースが、10年間住まいしたところだ。川沿いの谷間に位置し、それぞれの部屋がコテージになっている。
 朝、目覚めて部屋を出ると、谷合いの深い緑が視界いっぱいに広がった。幾重にも折り重なる緑は重厚で、バリ絵画の精密な描き込み、そのままだ。テラスのチェアで、朝霧が消えきらぬ中、これから始まるバリの数日にわくわくしながら、深い緑を堪能した。
 
 今日の予定は、注文していたクバヤを受け取り、サロンを買いに行くこと。
 クバヤの注文をしてくださったゆきえさんは、ブラッドオレンジの色のものが欲しいという私の厄介な注文に、生地を探し回ってくれたらしい。手渡された箱はかわいらしくラッピングされており、とても素敵な色のクバヤが収められていた。そしてそのままサロンの買い物にも付き合ってくださり、皆、どうにか自分の気に入りのものを見つけることができた。
 
 今日は、ベモにも乗った。初乗り500ルピア(約5円)の庶民の足だ。座れば向かいの人と膝と膝を擦りあうくらいの小さな車で、ぎちぎちに座っているのに、まだ乗ってくる。車内はぎゅうぎゅうなったのに、入口に体をはみ出しながら、それでも乗ってくるのを見て、思わず叫び声をあげてしまったが、バリ人はみな平然としたものだ。(冷静に考えれば、通勤ラッシュのほうがもっとひどいね。)
 お昼は、カフェ・エグザイルスで食べた。関さんを見習って、ナシチャンプルーを、バリ風に手で食べる。5本の指でごはんとおかずをぎゅっと固めて、親指と人差し指と中指で口に運ぶ。バリ人は第一関節より先しか汚さないそうだが、慣れない私は、離乳食を食べる子どもさながらに、ぐちゃぐちゃになる。でも、これは気持ちいい。食べ物のエネルギーが指先からも入ってくるのでは? と思うくらい、おなかだけでなく、体全体がしっとりと満足する。
 
 夜は、クルンクンのお祭りに、ゆきえさんが誘ってくれた。プラ ダラム(ダラム寺院:ガイドブックには、「死者を祀る寺」「死者の寺」と書かれている。)で、シヴァの神を祀る祭りがあるそうだ。バリは、毎日島のどこかでお祭りが行われているが、どこでどんなお祭りがあるのかは地元の人しか知らないので、こうして誘っていただけるのはありがたい。もともと、バリ舞踊はお祭りから発している。観光客用に舞台でやるものと違い、お祭りのための踊りやガムランは、バリ人の魂そのものであり、それこそ本当のバリの舞踏が見られるのだ。今日も、テレックバロンが見られるという。(テレックバロンは美女の仮面をつけた4人の人によって踊られる踊り。やはり“邪”が出てきて、善と悪のコスモロジーが繰り広げられる。チャロナランがバリ全域にあるのに対して、テレックバロンは限られた地域にしかないらしい。実は、見ている時にはどの踊りを何と言うのかちっとも知らずに見ていた。)しかも、とても力の強いお祭りらしく、例年、何人もの人がトランスに入るのだそうだ。このような祭りは大抵深夜に行われ、観光客はまず行くことができない。
 出発前、ゆきえさんにクバヤとサロンの着方を教わった。他の女性メンバーは皆見よう見まねでどんどん自分で着付けていくのに、私一人もたもたして、自分じゃぁどうにもならない。小さい頃母に着物を着せてもらった時のように、両手を挙げて、突っ立って、着せてもらう。――明日は、ブサキ参り。自分で着付けなきゃけないのに、大丈夫かしら??
 「もし私がトランスに入ったら、カメラを忘れず拾ってね」などと言いながら、車で一時間の道のりを行く。途中、バロンランドゥンの行列に出会い、一同興奮。中国の美姫に惚れ込んだ王様に準えたお祭りらしい。色の浅黒いバリの王様と、肌の白い女性の人形が、行列の中心になる。この古事から、今でも中国古銭はバリのお祭りに欠かせないそうだ。
 プラ ダラムに着いて、まず、お参りをする。昼間、ゆきえさんから手順を習った。儀式の規模や様式によっていろいろあるとのことだが、これがベーシックな形だそうだ。    しかし、この聖水、決して清潔とは思えないような気がして、おなかは大丈夫だろうかと一瞬頭を過ぎるが、神さまの力をいただいている水なのだからそんなことは考えないことにして、飲んだ。湿気の多いバリだが、このお参りの後、なぜかとても清々しい感じがした。
 ここが正面、という一番いい場所を陣取って、踊りの始まりを待った。ここまで車を出してくださったゆきえさんのバリ人のお友達が「ここのバロンは力が強いので、写真に写らない」と言うが、アーサー400を増感して、頑張ることにした。ガムラン楽団の子ども達にカメラを向けると、皆乗り出して写ろうとする。中には恥じらっている子もおり、みんな純真でかわいい。
 

 始まりは、子どもの踊りから。こうやって次第に盛り上がっていくのだろうと、少しうつらうつらとしながら見ていると、何やらお葬式のような場面になった。お弔い、お供物、炊き出しの老婆たち、まるで劇のように進んでいく。これが舞踏とどう関係するのか?と思っていたら、お葬式の場面は、死と再生がテーマのチャロナランには付き物だそうだ。しかし、こんなにちゃんと“お葬式”をやるのを見るのは、ゆきえさんも初めてだとか。(これに関しても、ゆきえさんからメッセージをいただいたが、他のチャロナランを見たことのない私には、違いがわからない。なので、メッセージをそのままお伝えします。『こんなにちゃんとしたお葬式シーン、とわたしが言ったのは、テレックバロンを持つ村のチョロナランという補足つきの感想でした。ただあの後調べてみると、クルンクンには同じようなストーリー展開をする村が他にもありました。』)  
 そのうち、後ろがざわざわとし出した。何だろうと思って見ると、いつの間にこんなに集まったのかというくらいの、すごい人だかり。その人垣がわさわさ動いて、通路を開けている。あれよあれよという間に、そこに“葬列”がわぁーっと押し寄せ、走り抜けた。どぎまぎしながら座り直すと、また後ろからうわぁ〜っと声が近づく。どこに逃げたらいいのか分からぬうちに、声の波に押されてあたふたしていると、さっきよりすごい勢いで葬列が戻ってきた。死者が甦ったらしい。もたもたしていると踏み潰されそうな勢いに呆気に取られている間にも場面はどんどん展開して、バロンとランダが対峙している。バロンは善の神様、ランダは悪霊だが、バリのコスモロジーの中では、ランダが一方的に倒されるということはない。善も悪も共に存在し、永遠に終わることのない戦いを繰り返す。
 そのうち、神力の強い何人かの人たちがトランスに入り始めた。生の鶏を奪い、食いちぎり、卵を割り、口からだらりと垂らしながら叫ぶ。聖水を振り掛けられながらこのトランス状態は延々と続き、一人、二人と失神し、寺院に担ぎ込まれていく。それを見ている村人の興奮も、頂点に達する。
 ただただ呆気に取られて見ていたが、突然“しらふ”になり、頭がくらくらしてきた。人垣を外れ、この場がどう収集していくのかを見ていると、最後の人が失神したとたんすーっと人が引き、あっという間に村人はいなくなってしまった。
 この祭りの意味や意義は、私には分からない。だが、村の人の気持ちは、ここに集約していた。自分の地元の祭りは、訳もなく血が騒ぐもの。祭りは血が騒ぐ人たちのものなのだと、帰り道、車に揺られながら思った。私はひどく疲れて、約1時間の道のりを、眠りこけて帰った。



3日目――ブサキ参り

 いよいよ、ブサキに参る日だ。
PURABESAKIH  今日、光・風・水・土・音という、自然の五つの力に触れておくことが大事だと、ラーマさんから言われていた。自然の力を受けて、ニュピに備えるのだと。もし、ブサキだけでそれが得られなければ、他の寺院に行くことも必要だそうだ。
 ニュピは、断食、不眠で、苦しいことが続く。辛くなった時に、今日受ける自然の力を思い出すことで、自然の力を取り戻すためだそうだ。ニュピのときには、口から物を食べるのではなく、肌からエネルギーを吸収するのだとも聞いた。
 光・風・水・土・音。これらを、自然の力によって感じることができるのが最もいい。つまり、偶然ってヤツだ。土はいつでも私たちの足元にある、とラーマさんはあっさり言うが、しかし、コンクリートの都会では、それを感じることはなかなかできない。コンクリートではない土を、しっかりと踏みしめる。
 ブサキに着き、ラーマさんの家系のスカワティ王家が祀る寺に向かった。
 ブサキ寺院で一番偉いというお坊さんがお経を上げてくださる中、お参りをする。手順は、昨日とほぼ同じ。ラーマさんの傍らに、中国古銭が置かれているのを見て、ニンマリしてしまった。
 お参りをしていると、まず風が起こった。目を閉じ、祈りをささげながらその風を感じていると、まぶたの裏の視界が、一瞬、とても明るくなった。聞くと、激しい稲妻が一つ走ったそうだ。これで光も受けたことになる。
 お参りを終えると、ポツリポツリと雨が落ちだし、お供え物をいただいているうちに、大雨になった。とても、さらさらとした雨。ラーマさんの「後は音だけだな」という声に呼ばれたように、雷鳴が響いた。これで、全部揃ったことになる。全てがタイミングよくやってくる。偶然の力をもらえるほど心強いことはない。自分達が大いなる力とつながっている実感が湧く。

 ブサキで全てが揃ったので、タンパクシリンのティルタエンプルに行く必要がなくなったとのこと。そこは清らかな水が湧く寺院で、もし“水”に出会えなかったら行くつもりだったそうだ。時間ができたので、その寺院で最も偉いお坊さんに直接お清めしていただくために、ご自宅に伺うことになった。始めティルタエンプルに行かないと聞いた時はがっかりしたが、お坊さんに直接お会いできると聞いて、そちらの方がもっと嬉しかった。寺院に行くなど、いつでもできることだ。
PURA-TIRTA-EMPUL  お部屋に通され、準備ができるのをお待ちしていると、外からプギーッ、プギーッ、という声がし、なにやら騒がしい。見ると、豚が取り押さえられようとしている。人と豚の格闘だ。もちろん結果は決まっている。豚は一本の棒に四足を縛られ、両端を担がれていった。子ども達がはしゃぎながら、まとわりついて行く。――私たちの暮しの中では切り離されてしまった、命を食べて生きているという生々しさに言葉を失った。「ああして食べると、どこも無駄にはしない」と、関さんの声。
 ティルタエンプルの高僧は、どっしりと、静かな方だった。動かず、静かで、純粋な生命の振動が響く、全てのものを許しているまなざし。――いただいた聖水は、甘い花の香りがした。

 道々、ラーマさんは、バリのコスモロジーに関わる、いろいろな話しをしてくださった。この世の中は、生と死からなるもの。死は終わりではなく、死もまた始まりであると。踊りはそのコスモロジーによって成り立っていて、バリ舞踊独特の手の形も、宇宙の中での生から死、エネルギーの循環、時空を表していて、その真意を知っている人は、バリ人の中でも、ずいぶんと減ってしまったそうだ。
 われわれはそのコスモロジーである、宇宙のめぐり、成り立ちを理解するためにこの世に誕生し、存在している。もしそれを生まれもって理解していたら、その子どもは生まれてすぐに死んでしまうだろうと。――そういえば、日本でも、幼くしてなくなる子どもは徳が高いと言われている。
 命ある全てのものは神が創った。もし、コンピューターを誰かが壊しても、神は怒らない。それを作った人、持っている人が怒るだけだ。しかし、木を倒したり、何かの命を奪ったりすると、人は怒らなくても、神が怒る。
 全てのものは回り、廻りゆくものであり、放っておいても、自然に動いていくものだ。無理やり動かそうとするのではなく、あるがままにしておくのがいい。留めたり、溜めたりする必要もない。ただそのまま、あるがまま、自然に流れていく力に任せればいい。



4日目――プリ・バンサルへ ニュピの始まり

 いよいよ、ニュピを迎えるためにギャニャール県チュチュカンのプリ・バンサルへ移った。ダグラスさんと桜井さんが合流した。
GARDEN 到着すると、ラーマさんのお母さんが、ココヤシのジュースを用意してくださっていた。硬いココヤシの実を切って、ストローと真赤なハイビスカスの花が挿してある。手のひらで抱えるようにしてジュースを飲み、飲み終わると、石の角でココヤシを割ってみなさいとラーマさんが言う。ゼリー状のココナツが食べられるよ、と。
BEACH  思い切り、力いっぱい叩くことに、何て慣れていないのだろうと思った。思い切り振り下ろしたい気持ちとは裏腹に、振り上げた腕が躊躇している。怖いと思ってしまう。何度か鈍らに振り下ろした後、やっと手応えがあった。ぱくりと口を開いたココヤシをラーマさんがこじ開けてくれると、内側に薄く、ホワイトグレーのプルプルの果肉が現れた。スプーンで削ぎ取るようにして食べる。――このナチュラルさが、何とも言えず旨い。
 プリ・バンサルは、ラーマさんのお母さんの実家の別荘だ。
 床は木と大理石。通されたお部屋には、3人は並んで寝られようかという大きなベッドと、部屋の床を掘り下げた形でしつらえられた、巨大な石をくりぬいた浴槽がある。このようないくつかの部屋の他は、すべてオープンエアになっている。皆が集まる広間も壁などなく、屋根だけの吹き抜けで、鶏も犬も出入り自由。庭での追いかけっこが、そのまま部屋の中に入ってくる。人も、外を裸足で歩いたそのままで上がってくる。2階は見晴台になっており、大きなベッドがここにも一つ。王さまのお昼寝用かな? 食堂は別棟の、やはりオープンエア。まるでホテルのようだ。「王宮(プリ)」という言葉で我々がイメージするような煌びやかさではないが、5円のベモに乗る庶民の生活と比べると、これが個人の持ち物であることに驚かされる。裏門を出ると、そこはすぐ海。1Kmほどにわたる砂浜が、まるでプライベートビーチのようだ。
BAKUCHIKU 夕刻にはオゴオゴが行われた。プリ・バンサルに向かう途中でも村々のメインストリートには子どもから大人までたくさんの男達が集まっており、バズーカ砲のような爆竹をぶっ放したりして、気分は昼間からすでに盛り上がっていた。いよいよ始まる時刻になると、OGOH-OGOH2 女達も見物の群れに加わって、田舎の村のBALAI BANJARでも大変な人出だ。悪霊のお祭りだけあって、担ぎ手たちの中には体や髪の毛を緑色に塗りたくっている人もいて、前日のムラスティの華やかさとはちょっと違う。オゴオゴは、陽に比して、陰の祭りなのである。
 午前1:00のニュピの始まりを前に、20:00だったか21:00だったかに、夕食をいただく。ニュピが始まると30時間後の夜明けまで、不眠、断食だという。今日は朝早く起きだして朝市に行ったり、美術館を回ったり、結構疲れている。これから30時間の不眠ということは、合計48時間、丸二日じゃないか、、、とちょっと焦ってきて、おしゃべりが弾んでいる皆を尻目に、広間のカウチに横になった。



4〜6日目――ニュピ

 実は、ニュピの間不眠であることは、当初誰も知らなかった。前の時は、ちゃんと寝たそうだ。しかし、つなぶち・関の両氏は2度目であるから、正式に、寝ないでニュピを迎えるようにとのラーマさんの配慮だ。皆も、もしできるなら、やったほうがいい、と。 AGUNG
 いよいよニュピの始まる時間になり、2階の見晴台で瞑想を始めた。ラーマさんは、エネルギーが体の中を回っていく様子をイメージするようにとアドバイスをしてくれる。苦しくなった時には昨日のことを思い出せば、自然の持つエネルギーが甦ってくるから、と。
 なのに、しょっぱなから、コックリ、コックリ寝てしまう。ラーマさんに起こされるが、ダメ。座っている台座から転げ落ちるんじゃないかと、何度かどきっとしたが、すぐまたコックリしてしまう。
 3〜4時間座っては、1〜2時間休憩するペース。最初の休憩が終わる頃夜明けを迎え、今度は海辺で座ることになる。……が、男どもはそのまま海へザブザブと入って行ってしまった。悔しい。私も入りたいけど、こんな服を着たままでは、重くて身動きが取れなくなる。散々じれたあげく、水着に着替えて海に入る。
 素晴らしく気持ちがいい。海から、バリの霊峰アグン山を臨む。
PURI
 シャワーを浴びてうつらうつら、夢とうつつの間を行き来する。うつらっとすると、つなぶちさんが「今、何の夢を見た?」と聞くので、ああだ、こうだ、と答える。夢はほんの一瞬なのに、案外、イメージというものは広がっているものだ。状況、心理、意識など、全て備わっている。

 再び、見晴台で座るが、またコックリ、コックリ、コックリ。何度か気を入れなおすが、ふぅーと意識が遠のいていき、鶏や犬が騒ぎ出す声にまた我に返る。犬や鶏は、何のきっかけか、急に声をあげ、騒ぎ出す。鳥が鳴き出すのも、一斉に始まる。しかし、犬が騒ぐ時には犬だけが、鳥が騒ぐ時には鳥だけが、鶏の時にも鶏だけが騒いでいる。これらが混ざって、一緒に騒ぐことはなかった。
 そういえば、瞑想をしている我々が動き出すのも一斉だ。長く座りつづけていると、姿勢を変えたくなる。もぞもぞっと動きながら周りを見ると、皆も動いている。つられると言うより、それこそ、一斉に動き出す。おもしろい。

 日が暮れてくると、蒸し暑さと、水を飲んでいないベタベタ感が苦しくなってきた。凪の時間なんだろう。またうつらうつらと夢をみた。私は手を掲げ、手のひらに聖水をいただいている。ティルタエンプルの高僧が授けてくれた聖水と同じ、甘い花の香りがする。とても清々しい気持ちになり、その聖水を胸につけた途端、手のひらに自分のベタリとした肌が触れて、びっくりして目が覚めた。
 一瞬の緊張が解けると、さっきまでベタベタとしていた周りの空気は、一昨日タンパクシリンで感じたような、サラサラと気持ちのよいものに変わっていた。これが、ラーマさんの言っていた、「体験を思い出し、自然と通じることで、エネルギーを甦らせること」なんだろう。今起こったできごとが、夢だったのかうつつだったのか、分からなくなってしまった。夢とうつつの境界とは、案外曖昧なもののような気がした。

 また瞑想をしていると、何かが膝に置かれた。目を開けるが、真っ暗で何も見えない。ニュピの日には、月明かりもないから。
 恐る恐る手を伸ばすと、濡れた、生温かいものに触れた。犬の鼻だ。犬が、私の膝に、頭を乗っけている。「何しているの? ここで一緒に瞑想しない?」と空いている隣の席をポンポンと叩くと、ひらりと飛び乗り、くるっと丸くなった。それから私も、狭い座布団の上でくるりと丸くなり、犬と一緒にしばらく寝た。
 目が覚めたので、座りなおす。犬はまだ隣で寝ている。他の皆も、床に寝たり、座ったり、思い思いに瞑想を続けている。誰かが隣の席に座ろうと近づいてきたが、座布団の上に何かがいるのを感じ取った様子。暗くて、何かは見えていない。それが誰なのだか、私も見えない。どうするかと思っていたら、わずかに入る光を何かで反射させて座布団の上を照らし、納得して別の席に行った。なかなかの智恵者。誰だったのだろう?

SUNRISE  夜明けが近づいてきた。ニュピの終わりだ。やっと、という気持ちと、惜しいような気持ちが入り交ざる。最後だと思い、座りなおすが、やはり寝てしまった。
 やがて、ラーマさんの声を合図にニュピが明けた。まず水を飲む。もっとごくごく飲むかと思っていたが、ちょっとで十分。みんなも意外そうにコップを置いていた。浜辺へ出ると、朝焼けが素晴らしい。漁師が早速漁に出ていた。投網を投げ、引き寄せる。「働かない日」が終わると、またこうして、いつもと変わらない一日が始まっている。
 戻ると、朝食が用意されていた。ニュピを終えて、竈に火を入れて作ったおかゆだ。それと、かぼちゃのスープ。しゃくしゃくとしたかぼちゃがおいしくて、お代わりをする。おかゆも、いろいろなおかずを載せて、チャンプルーにして食べる。自家製のサンバル(辛子を主体に、香辛料をミックスしたもの。各家庭の味があるらしい)が何種類かあって、いろいろ味見をする。
 フルーツもいろいろ。パイナップル、バナナ、タンジェリン……。これもいろいろ食べたいので、半分ずつ分けてもらって、片っ端から食べる。

 6日間の旅行日程は長いような気がしていたが、ニュピ明けの今日は、もう東京行きの飛行機に乗らなければならない。もう一度あの気持ちのよい海で泳ぎたくて、食卓を早めに離れて海に行くと、さっきまでの様子とまるで違っている。波が高い。腿のあたりまで入ったが、引き波が強くて、これ以上は行けない。腰をさらわれたら、立ってはいられないだろう。どどーんと押し寄せる波を足に感じながらアグン山を仰ぎ、この数日の体験に感謝をした。
 あとで聞くと、この海で泳げるのは、明け方と夕方の波の静かな時だけだそうだ。



6日目――感謝

FAMILY 身支度をし、プリ・バンサルを離れる時間がきた。ラーマさんと挨拶をし、恭子さんとも挨拶を交わす。恭子さんの腕はしっかりと力強く、話し出したら止まらなかったこの二日間の恭子さんの言葉の数々を思い出す。異国の地に嫁ぐこと。そこに飛び込んだ恭子さんが、祖国からの客を、私が思っていた以上に歓迎してくれていたことを、今更のように感じた。
 いよいよ出発の時がきて、ラーマさんのお母さんと握手をして、お礼を言う。「テレマカシ」。すると、後ろの方から、細い手がニュッと出てきて、「握手をしよう」と手をひらひらさせている。使用人たちの手だ。女主人との挨拶が終わるのを、待っていたのだろう。とても嬉しくなって一人一人と握手をし、「テレマカシ」と挨拶を交わした。それは、バリ島と、出会ったすべてのバリ人へのお礼と挨拶でもあった。



それからのこと

MARKET  このバリ旅行には、ここには書ききれなかった小さなたくさんのエピソードが、宝物のように詰まっている。すばらしい星空。木々の息遣いを感じる道。気持ちの良さそうな川でのマンディ(水浴び)は、私もやりたかった。初めての値段交渉。市場では精一杯頑張って値切ったのに、17、8歳の店番の女の子は、私が払ったお金を持って踊り出した。町のいたるところで「祈り」を見た。収入の半分近くを毎日のチャナンやお祭りの供物のためにつかうというバリでは、祈りは、ごく日常にあった。
STREET普段から時計は持たない私だが、団体行動には不可欠かと行きの飛行機の中で時計を買おうとしていたら、関さんが「この旅行のためなら、時計は要らないよ。バリ時間を楽しんだ方がいいよ」と言う。急がず、あせらず、時間に合わせて行動するより、気分に合わせて行動する。そういうバリの中では、一日の内にやることを欲張ってはいけない。それはとても疲れることで、日本でなら10〜15分ほどで歩ける距離が、バリでは、どんなに一生懸命歩いても30分はかかってしまう。空気全体に流れるものごとの速度が違うのだろう。その中に日本のペースを持ち込んでも無理がある。ならば、のんびり、ジャランジャラン(散歩)を楽しんだ方がいい。
 時間は、意識次第で、膨らみもすればぺしゃんこにもなる。時計が刻む24時間のように、均等ではないのだ。過ぎた“時”の意識を追うことができれば、その時間はどんどん膨らんでいく。反対に、意識を持てなければ、時間も失われてしまう。バリ時間は、自分の意識によって刻まれていく“時”のような気がした。時計によって刻まれていく時間に振り回されず、「失わない時」を過ごしていきたいと思う。
 もう少し意識の話をするならば、瞑想をして、夢とうつつの曖昧さを感じているうちに、今、現実だと思って見ている目の前にあるものも、実はイメージや願望や偏見で見えているだけなのではないかという実体のなさを感じてきて、突如不安になった。PENJOR現実だと思っているものの多くは夢(イメージ)なのかもしれないのだ。一方、瞑想の中で聖水をいただくことで周りの空気が変わったように、夢の中のできごとが、現実の世界を変える力も持っているのだ。――夢とうつつ、その曖昧さこそが現実なのかもしれない。
 エゴの話にも続きがある。旅行中の大洗濯をしていた日曜日、友人から電話があった。忙しい友人だが、「その瞬間、楽しいことを選ぶ」ことの大事さに気がついて、それを実行して電話をくれたそうだ。いろいろ話を聞いて、私も翌日、「楽しいことを選ぶ」ことを実行してみた。すると、「本当に心がすっきりとする楽しいこと」を選ぶと、エゴや怖れに耳を傾けないですむことに気がついた。至高体験を、神様がくれた恵みだという人もいる。だけど私は、「エゴを超えた、本来の望みに添った選択ができた」証しなんじゃないかと思う。エゴに苦しんだあげくに、エゴを超えた、真の選択ができるんじゃないだろうか、と。それを意識的に作り出すのが、「その瞬間、楽しいことを選ぶこと」なのではないか。エゴは、本来の望みの入り口なのだ。エゴがあってこその人間なのだと思う。エゴを見ずには、自分の望みに向かうことは、私にはできそうもない。
 旅行から帰って以来、私のものごとの捕えかたは大きく変化している。そして、お気に入りの中に「布」が加わった。サロンのために買った3枚の布、この夏は、これらの布が大活躍しそうだ。慌しさの中で薄れがちな意識も、これを着て歩く日、また思い起こしていけるだろう。

REIKO  2年後にまたニュピ旅行を予定していると聞いて、帰ってきたばかりなのに、また行きたくなっている。今回ちょっと残念だったのは、チュチュカンは、きっとニュピではなくても静かなところだろうということで、今度は、街中ウブドに訪れる静寂の一日を体験したいと思う。
 2年後、私は何をしているだろう。


もどる