吉村医院 体験記


内なる自然を求める、私自身の旅




  愛知県の岡崎市に、吉村医院という、変わった産婦人科医院がある。ある本で、ここの院長の吉村正先生の、「簡単、便利は、生命のポテンシャルを下げる」という言葉を読んで、強烈に惹かれていた。「生命のポテンシャル」という言葉が、私のアンテナと強く共鳴したのだ。
  吉村医院は、自然な出産のために妊婦さんに薪割りをさせる産婦人科としても有名で、時々テレビや雑誌でも取り上げられる。ある番組では、40才をすぎた、しかも子宮の出口付近に大きな筋腫がある初産婦が自然な出産をしていた。普通の病院なら、即帝王切開である。私の興味はどんどんと募っていった。そして、きっとこんな変わり者の先生は、ひどく閉鎖的に違いないと、勝手に決めてかかっていた。


  その吉村正先生の講演会が横浜で開かれることを知ったのは、開催日の3日前だった。月一回、母親学級を担当している池川クリニック の掲示板に、チラシが張ってあったのだ。

  講演会での話は、私にとってわくわくと胸躍る、とても楽しいものだった。

  人は、40億年かかってできているメカニズムに従ってお産をしている。今は医学=文化によって心が抑制され、お産のメカニズムが死んでしまっている。
  皆さん自身が主人公であり、体の中にはすごい能力がある。やりたいようにしないと、いいお産にならない。人は、我々が意識できない、深いところで生きるものである。そこから学ぶものが大きい。心の奥によどんでいる無意識で生きている。
  そういう自然とは不合理なものなのに、今は表面の便利な暮しで生きているから、不合理なことが許せなくなっている。自然とは本来、不合理なものだ。
  医者は、安全に産ませるのが仕事か? どんなに医学的に診ても、どんなに自然に暮らしても、赤ちゃんも、時には死ぬことがある。それは、神さまの決めることだから。「時には、死ぬことがある」妊婦さん自身がそう認識することで、赤ちゃんが無事かどうかにビクビクしなくなった。生き生き、生きるようになった。


  講演会後、池川先生と、お産の家 明日香医院 の大野明子先生と、バースコーディネーターのきくちさかえさんが吉村先生とお茶を飲みに行くのに、一緒に連れて行っていただいた。
  大野先生とは何年ぶりだろう、まだ日本医科大にいらした頃に講演をしていただいたことがある。名乗ると思い出してくださり、久しぶりの話に花が咲いた。
  吉村先生は「中途半端が一番苦しいぞ。はやくこっちの世界(自然体で生きる)に来んかい」と言って呵呵と笑う。「いつでも遊びに来んしゃい。勉強しようと思って来たらいかんよ。遊びに来るくらいのつもりがちょうどいいんじゃっ。(呵呵呵呵)」

  嬉しい言葉には甘えるものだ。ようやくそれが身に着いてきた。
  さっそく、行く算段を始めた。これを"仕事"にするか、プライベートにするか、悩むところだったが、"仕事"として受け入れられれば楽しみが増えるというものだ。職場に申請書を出したところ、あっさりと受け入れられた。


  話は大分遡る。
  10年程前、ミシェル・オダンという水中出産の権威の講演を聴いた。その時、水中出産は究極の自然出産であることを感じた。
  水中出産というと、水の中で産むことと思っている人も多いだろうが、Water Birthであって、Birth under the water ではない。オダン博士によると、自然のままの内なる欲求を聞くことができれば、陣痛が最も辛くなる子宮口が開く時期には人は水に触れたくなり、娩出の時には水から出たくなるものなのだそうだ。水に入っている時はリラックスするが、水から出たとたんにアドレナリンの値は一気に上がり、そのアドレナリンラッシュの勢いをもって、娩出に進むと言うのだ。
  その自分の内なる宇宙がつかさどる自然の仕組みは、「こうしたい」という気持ちにただ正直に沿うことで最高に生かされるのだという。

  私が"自然出産"にこだわるのは、体や意識の中に眠っている力を引き出していく、過程を求めているからだと思う。自分の中にどんな欲求があるのか、それを見つけて正直になることが、この人生の課題ではないかと思っている。欲求は、幾重にも仮面をかぶっている。その本当の芯にあるものに出会いたいのだ。


  吉村医院では、自然な出産のためにはまず動くことだとして、いろいろな試みが行なわれている。一番興味があったのは薪割りで、300年前の民家を移築した「古屋」で行なわれる「労働」を、ぜひ体験したかった。
  薪割りは、全然力のいるものではなかった。斧を構えたとき、全く重みを感じない一点がある。そこから斧の重みに任せて、余計な力を入れたりせず、ストン振り下ろすことができれば、薪は気持ちよく割れる。力むと、外れたり手に衝撃を受けたりする。薪割りは、本当に"割る"のだった。だから木目に逆らって割ることはできず、私が斧を気持ちよく感じれば、薪も気持ちよく割れる。薪割りは運動であると共に、自然に任せることを体で覚えることだと思った。
  一束の薪ができたころに、古屋から、ぷんとお汁のいい香りがしてきた。古屋のご飯は竈で炊かれ、おかずもできる限り手を加えない素食と言われるものだ。小さい頃庭で遊んでいて、おなかがすいた頃に台所からいい匂いがしてきて、家の中に駆け込んだ記憶が甦る。
  古屋の労働は、薪割りのほかにも、ノコギリひきや雑巾かけなどもある。いずれにしても気持ちよく体と外界のバランスを取るもので、おしゃべりも楽しいし、ご飯はおいしいし、「労働」という重くて憂鬱になる言葉とはかけ離れていた。

  初日に、吉村先生は「体を動かすことは最初のうちは億劫かもしれないが、そのうちに気持ちよくなって、心が喜んでいるのがわかるようになる」とおっしゃっていた。古屋での試みは、自然とかけ離れて暮らす現代人が、心の欲求の声を聞けるようになるための働きかけではないかと思う。

  吉村先生とは、4日間の滞在中、いろいろなおしゃべりをさせてもらい、強く心に響いた。

  先生は毎朝、車で2,30分のところに散歩に行くのだそうだ。素晴らしい自然が残された里山だという。「連れて行ってください」とわがままを言った。この時間は先生がご自身をリセットする時間らしく、この頃は誰も連れて行かないのだと知らずに言ったのだが、「そうか?」とちょっと考えてから「連れて行ってやる」と言ってくれた。
  その里山は素晴らしくて、車のドアを開けた途端、田んぼの水路に映った朝焼けが一直線に私まで伸びてきて、しばらくそのまま動けなくなった。

  吉村先生は、「ここに来たからいいお産ができるんじゃない。しっかり動いたお母さんが、いいお産ができる」と、妊婦さんたちにはっきりと言う。そして、「動くとおなかが張る。おなかが張ると、安静に、とすぐ言うが、おなかが張ることによって、子宮の筋肉が鍛えられている。子宮口が柔らかくなるのは、安産傾向ということだ。一つ言っておきたいのは自然なお産は、時間がかかる。時間がかかるから子宮口がぐにゃぐにゃになって、だから裂けない。時間がかかった時に、めげないで欲しい。」と。

  時間がかかるとは、どういうことか――。
  普通の病院では、待つことをしない。「時間がかかると赤ちゃんに良くない」というお題目を掲げて、陣痛促進剤を投与したり、おなかを無理矢理押したり、出口を切ったり、吸引して引っ張り出したりする。
  先生は、「赤ちゃんができたのが自然なら、生まれてくることも自然の摂理だ」と言う。「医療介入の理由として、子宮口が開かなかった、赤ちゃんが骨盤を通らない、と言うが、そんなことはありゃせん。神様は、そんなふうには生き物をつくらない。医学書にはそういうことが書いてあるが、それは、医者の観念的な問題だ。女性として生まれ、女性として妊娠したのだから、産む力は十分にある。自分の力を信じて欲しい」
  そして、先生は子宮口が開き、赤ちゃんが自然に生まれてくるまで、待つのだ。何日でも。例えば、破水が先に起こったとしたら、普通は24時間待って陣痛が起こらなければ促進剤が投与され、出産へと進ませる。しかし、吉村医院では、5日でも6日でも、自然な陣痛がやってくるまで待つ。感染が起こらないか、赤ちゃんに異常が起こっていないかを、注意深く見守りながら。

  「しっかり動いた人は、遅れても大丈夫。それを、薬を使ったり、吸引したり押したりすることで、赤ちゃんは悪くなり、ぐちゃぐちゃになって生まれてくる。それによって、その後の人生とか、親子関係とかをめちゃくちゃにしている。時間がかかっても、自然に生まれた赤ちゃんは元気だし、きれい」

  「神さまは、ちゃんと産むことのできる生理を、人間の中に備えている。神(自然)がすることに人間が手を加えては、それは神(自然)を冒涜することであり、それによってすべての生理が崩れてしまう」

  実際に、破水から5日経って出産に至ったお母さんに会ったが、赤ちゃんも元気だし、お母さんも元気だった。5日の間、赤ちゃんの頭は、出口付近に挟まったままだったそうだ。よく我慢した、と思う。「もう薬で出してくれと何度も思ったし、ひどいことも言った。でも、待って良かった」とお母さんは言う。そして「産むまでの間は長かったけれど、陣痛が来てからはあっという間だったし、私は安産だったと思う」と、きらきらした目をして、けろっと言った。

  「わしはお産に命を掛けちょる」とは、口癖のように先生の口から飛び出す言葉だが、その意味はずっとわかりかねていた。妊婦さんが命を掛けてお産をするのならわかる。でも先生が?

  吉村先生といろいろ話しているうちに、それは先生がお産という自然と向かい合う姿勢だとわかってきた。吉村先生がしていることは、その人の、人としての力を信じて待つことだが、今はより安全に、先回りをして処置をするのが当たり前のことだとされている。薬を使い、手術をほどこし、ありとあらゆる医療の手を尽くせば、何があっても「できることはやった」と言われて、医者としての名誉が守られる。しかしそれは、その人の生きる力を著しく阻害することなのだ。何もしなければ、自分自身の生命力を持って、たくましく生まれてくることができたかもしれないのに。現に、医学的な異常がない限り手を施さずに待つ吉村医院の帝王切開率は、全出産の2%という、驚異的な低さなのだ。
  先生は、「薬を使って、切ってしまえば、楽だ。しかしそれは、医者にとっての楽なお産で、産む人にとって楽なお産ではない」と言う。先生にとっては、瀬戸際のお産に向き合うことは、登山家が冬の雪山に挑戦するように命を掛けたものなのだと納得ができた。
  登山家が雪山に向き合う姿は、誰にでもその危険と勇気が目に見えるが、目に見えない自然に立ち向かっている吉村先生の命をかけた戦いは、誰も目で見ることはできない。

  吉村医院に行く1ヶ月ほど前、私は人間ドックで卵巣嚢腫の疑いがあるという診断を受けていた。それ以来、左の卵巣が黒くてぷっくりした固まりに感じられ、なぜこの不調に気づかなかったのかと思うくらいだった。だけど、吉村医院でいろいろな体験をしながら、自分の意識が不調をますます増大させていることに気がついた。吉村先生にそのことを言ったら「医者に行ったら、ますます悪くなったじゃろ」と笑われた。「医者に行ったらいかんのじゃ。医者が病人を作っておる」と。
  人の意識とは、そんなものだろう。大丈夫だ、と言われれば大丈夫だと信じられるし、病気だと言われれば、自分でますます病気を膨らませていく。私も、自分の意識で流していくことができると思っていながらも、固まっていく方向に向かってしまっていた。
  自然の力と自分をチューンすることで、あるがままに任せる自然の姿を自分自身に写し取ることができる。吉村先生が、毎朝里山を歩くのも、そういう意味があるのだろう。

  吉村先生には「迷ったら、またいつでもここに来ればええ」と言ってもらった。いつでも受け止めてもらえる場所があるというのは、幸せなことだ。
  吉村先生に出会えたことは、私にとって生涯かけがえのない幸せの一つである。



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