Biography of Nobuhiko Kashiwara
1979
某大学付属高校入学と同時にブラスバンド部に入部。チューバとベースを担当。先輩と二人きり、メロが無いパートの退屈さに辟易し
他のパート練習をひやかす毎日のおかげで全楽器をマスター。器用貧乏の始まり。
同級生のロックバンドに誘われ初めてキーボードを触る。スモークオンザウォーターが最初に覚えた曲。
キーボードにもコードがあることを知りビックリ。暗記すると簡単に伴奏ができるようになる。楽しさ発見。
ビリージョエルやエルトンジョンみたいになりたいと思う。
楽器店にてCharのバンドリハーサルをスタジオの窓越しに目撃。バンド活動に憧れる。

1980
ブラスバンドでは主にクラシック。100小節に一回ブーっと吹くだけ。合わせシンバル担当の奴と顏を見合わせ苦笑する毎日。
スイングジャズ系ビッグバンド化を画策するも伝統の前にクーデター失敗。秘かに部内でフュージョンバンドを結成。退部。
ジャズ理論、和声法を独学。学校をサボって楽器屋に通う習慣が身に付く。店員と仲良くなって練習スタジオを格安でレンタルに成功。
ライブハウスや楽器店ラウンジなどで精力的ににライブを行う。
ポプコン審査員を経験。後に大物となったアーティスト達のアマチュア時代を多数目撃。
クインシージョーンズ、デイブグルーシンに心酔。

1981
有賀啓雄(現・作編曲家プロデューサー)佐藤公彦(現・メンズ5ボーカル)等とフュージョンバンドを結成。
各楽器メーカー主催のコンテストで賞品、賞金を荒稼ぎ。ヤマハイーストウエスト'81でグランプリを受賞。LMC全国大会に進出するも
チェッカーズに破れる。1位と2位のその後の差は大きい。決戦前に聞いた「出来レース」という言葉を知る。
ショックと音楽指向性の分裂。バンド解散。
コンテストで知り合った連中とセッション三昧。CM等のレコーディングや新宿のレストランでピアノを弾くバイトを始める。
ハーモニカの八木のぶお氏がリードをとるカーティスクリークバンドにスカウトされ参加。ピットイン等に出演。プロの洗礼を受ける。

1982
高校卒業式前夜にツアーから帰京。担任の先生に恐る恐る電話すると「明日はちゃんといらっしゃい」と有り難いお言葉。卒業。
拾った手帳が縁でマネージメント事務所のオヤジに拾われ所属。フォークデュオ・雅夢のツアーをピアニストとしてサポート。
佐藤満(四人囃子)のグループに参加。ヘビメタキーボーディスト復活。12キロあるシンセを肩に担いで弾く奏法を編み出す。
サンバグループ・OPAに参加。六本木のハコで月〜土、8時〜深夜3時、毎日4ステージ。8時だよ全員集合でドリフと共演を果たす。
昼間はスタジオミュージシャン。譜面の初見に弱く先輩達やディレクターにイビラレル。バイエルとハノンの独習開始。
アジアの歌姫テレサテンのワールドツアーに参加。マニラのイメルダ夫人経営ホテルでコンサートのスケジュール待ち。
テレサ嬢からお小遣いを貰って2週間程滞在。多国籍オーケストラの一員として本番2回。成田で検疫に引っ掛かりポリバケツに検便。リタイヤ。
ギャラは米ドル。銀行に通い換金レイトとニラメッコ。チャンスを待つもタイミングを逸し外為の難しさを知る。
大学進学を強要する親と対立。独り暮らし開始。

1983
石田勝範氏(作編曲家)に師事。世はカラオケ創世期。約300曲の耳コピーでスコアメイクとオーケストレーションをマスター。
ソニー信濃町スタジオに通勤。睡眠不足の日々に憔悴。風呂場で倒れる。師匠の下を半年で脱走。独立。
デモテープがロスのカズ松居氏に認められ、エリックタッグ(リーリトナーグループボーカリスト)に曲を提供。
作曲家としてデビュー。アイドルの歌も作り始める。石川優子のバックバンドに参加。
大滝詠一氏プロデュース森進一「冬のリビエラ」のレコーディングに参加。井上鑑、難波弘之の両氏とピアノ三重奏を体験。
スペクターサウンドのノウハウをゲット。
須藤薫のコンサート、ラストバラードのイントロでシンセのプリセットボタンを押し間違え会場内を爆破。
この日を境にステージでシンセを弾かなくなる。

1984
CM、アニメ、企業社歌等、有りとあらゆるコマーシャルミュージックを依頼されるままに作曲。
政治家選挙テーマ作曲の際、永田町議員会館に招かれる。国会議員秘書の美麗さに圧倒される。
広告代理店から来る仕事の美味しさを満喫すると同時に、ポッケナイナイオヤジが業界には大勢生息していることを知る。
貰ったギャラをその日のうちにネオン街で全て使い果たす習慣。「貯金」という言葉を知らなかった。今も知らない。
中山美穂のボイストレーナーを務める。

1985
尾崎豊(当時19才)に出会う。俺21才。ツアーとレコーディングにピアニストとして参加。
「生きるための音楽」をまざまざと見せ付けられ衝撃を受ける。本番25回×3時間のライブプログラムで体力アップ。
オンステージ、オフステージ共にロックミュージシャンらしく大暴れ。ピアノ椅子仁王立ちストンピング奏法を編み出す。
ホテルで消火器発射、会館備品破損等による弁償金多額。「分割払い」という言葉を知る。
コンサートピアノ貸し出し要注意人物として全国の小屋のブラックリストに載る。酒と肴の味を覚える。

1986
元旦、福岡国際センターでのコンサートを最後に渡米する尾崎豊と一旦お別れ。
外人仕様ペンネームで書いたユーロビート"Set The Fire"が大ヒット。洋楽チャートナンバーワンを獲得。
自分の曲でパラパラ踊りをするボディコンギャル達を当時全国展開中のマハラジャ店内にて眺めてニンマリ。
柳の下のどじょう狙いで次々とユーロビートを発表するもヒットに到らず。地道な作編曲活動に戻る。
少年隊のステージアレンジとバックを務める。植草氏と肥満隊を結成? ダイエットを競う。
ジャニーズエンターテイメントの完璧主義を体感。

1987
帰国した尾崎豊のアルバム「街路樹」のプロデュース&レコーディング。タイトル曲で100人オーケストラの編曲と指揮を初体験。
毎夜六本木に繰り出し、パラディソ→クラブ→レッドシューズ。浴びるほど酒を飲みながら朝まで尾崎と語り合う。
街角で知らない人達とグーの出し合い。逃げ足の速さが身に付く。六本木裏道マップ完成。
50本予定の全国ツアー開始。友人として尾崎オンオフ全日常を見守るも力足りず、25本目で尾崎倒れる。
覚せい剤所持で逮捕の尾崎と絶縁。己の無力さを嘆く。しばし茫然とした暮らし。
心機一転を自らに促すため引越し。新人ロックバンドのプロデュースワークを開始。

1988
ロックバンドのプロデュース依頼が殺到。マネージャーの方が舞い上がる。3バンドをデビューさせる。
伊秩弘将氏デビュー、椎名恵、相曽晴日、戸川京子、山瀬まみ、山根麻衣等のアルバム制作で不眠不休のスコア書きとレコーディング。
スタジオに着いてから当日のプログラムを把握するという夢遊病状態。アシスタント、ローディーがなぜか3名も。
ガールズバンド本田美奈子WILD CATSの音楽監督としてコンサートツアーにも帯同。女子校の先生の気持ちをなんとなく理解。
FM・NACK5の開局テーマソングと全ジングルを制作。人気マンガのイメージアルバム数枚も制作。
フジテレビで久しぶりに会った某アイドルに「尾崎と一緒に捕まったのかと思った」と言われメマイする。

1989
春先から盲腸、胃潰瘍、肝臓などの内臓疾患を連発。入退院を繰り返す。病院代が高いことを知り生命保険に加入する。
闘病中に考えた事、多数。何のための音楽なのか...従来の仕事に疑問を持ち始める。
夏に少しづつ社会復帰。小川範子コンサートツアーの音楽監督。気になってしょうがなかったアイドルに会えて相当興奮する。
編曲のみの仕事を断る。スタジオワーク減少。高校生時代に見たシンガーソングライターの夢が再燃。一旦休業。
暇に任せて自分用の作詞作曲を始める。レコード会社数社に持ち込みデモテープを制作。
プロデューサー数名とデビューの準備を進めるも方向性を押し付けられ毎回決裂。資本主義の仕組みを把握。

1990
ニューヨーク初体験。レコーディングで、当地のミュージシャンとエンジニアに英語が話せないことをバカにされる。
頭にきて帰国後、英会話学校に入学。朝から晩まで英語漬けの毎日をおくり、なんとか日常会話をマスター。数度渡米。
英語一つで環境と待遇が変わることを知る。ディスコにてリズム感が無く踊りが下手な黒人を多数目撃。アメリカの層の厚さを理解。
ブロードウェイミュージカルに圧倒される。片っ端から観劇。オケピットのコンダクター席を夢見る。いつかアメリカで...。
日本在住不良外人ミュージシャンがワラワラと集結。共にダンスミュージックを制作。不必要なスラングを諸々習得。
日本人としてのアイデンティティーを模索した結果、尺八を手にする。ポップス用に尺違いの10本を特注。独習開始。
中山美穂、草尾毅などを手掛ける。仕事量調整に成功。精神安定。

1991
現所属事務所コンポジラに移籍。作編曲家活動を本格的に再開。女性アイドルを多数手掛ける。
ジャンルに拘らず曲を書き捲り、充実。
チョーヨンピル氏に招かれ渡韓。韓国民謡に尺八で共演。ハングル文字の読み書きをマスター。日韓関係の歴史を学習。

1992
金子美香、森口博子、SMAP、やしきたかじん等を手掛ける。それぞれ小ヒット。
尾崎豊氏死去の一報に愕然。一カ月後再会の約束果たせず無念。葬式は雨。
巨匠荒木とよひさ氏作詞による「飲んだくれ」が有線でヒット。カラオケスナックで連日飲んだくれる。
カルロストシキ氏のアコースティックライブをプロデュース。久しぶりにステージでピアノを激しく弾く。
腱鞘炎が悪化し休養中に競馬にはまる。大井、川崎、渋谷ウインズ等で必勝法を模索しすぎて連戦連敗。一財産失う。
TOKIO国分太一にキーボードを伝授。半年でマスターしたジャニーズ魂に再び敬服。
imajukuリーダー畑信弘氏と運命の出会い。

1993
マリアをプロデュース。R&Bに初挑戦。他に原田龍二、松阪晶子、MELODY等を手掛ける。
理想的なボーカリスト近藤名奈に出会う。2オクターブ使用できることに喜々とし、作風の新境地開拓。
「セーラームーン」を始めアニメソングを多数作曲。戦隊シリーズでは歌手としてもデビュー。
テレビアニメ「真拳伝説」の主題歌を作曲、歌唱。シングルを発売。番組3カ月で打ち切り。
ミュージカルを見に行ったはずのニューヨークでも競馬にはまる。

1994
UWF選手のテーマを作曲。招待された武道館楽屋で高田戦前のベイダーを間近で見る。ビデオ収録中、傍らで戦慄く通行人として出演。
アイドルは内田有紀を担当。とんねるずのアルバム制作で秋元康氏から声がかかる。石橋貴明氏の気配りに感心。さすが社長。
芸能界と音楽業界の狭間を片足立ですれすれに歩く。どちらに転ぶか自分でも分からず。
アサヒスーパードライCMソングをプロデュース。他人が作った楽曲を歌ったことのない世良正則氏を口説くため日参。毎度熱く語られる。
ロック論を有り難く拝聴。帝国ホテル天麩羅屋にて快諾を貰う。憧れのスターと共演に歓喜。
オフ日の大井競馬場通いに終止符。馬券収支決算表の損金で外車一台買えることに、やっと気づく。競馬の楽しみ方を変更。
共同馬主となり先物取引に足を突っ込む。突っ込んだ足に激痛が走るようになり慌てて病院へ。
アルコール性高脂血症の診断。医者に「死ぬぞ」と脅かされる。食事療法にトライ。スポンサーのビールが飲めずシャレにならない。

1995
中森明菜のアルバムに参加。長年のファンとしてイレコミ捲ったストリングスオケが気に入られる。有り難き幸せ。
作曲家・井上ヨシマサ氏に呼ばれたスタジオで小野正利の3度上ハモコーラスを3曲、6時間の拷問を受け血管が切れる。
新人歌手発掘に乗り出し数名を育成。デモテープ作成の日々。
スーパードライの歌唱を柳ジョージ氏に依頼。こりゃまたスターとの共演に歓喜。大物は腰が低いことを知る。
初めて投資した愛馬シグナスヒーローがトントン拍子に勝ち上がり狂喜乱舞。名古屋、福島、新潟、東京、中山競馬場で父親気分。

1996
戦隊シリーズ「ビーファイターカブト」の主題歌を歌唱。毎週日曜朝8時にテレビから熱苦しい歌声が流れる。
長年たくわえていた口ひげと決別。髪を茶色に染め、歌のお兄さんとして遊園地のステージに立つ。「お兄さん」は無理がある33歳。
渡辺美奈代にアイスクリームを奢って貰い興奮。人妻になるアイドルを見届ける淋しさを味わう。吐息各種をサンプリング。
女子高生の溜まり場プロダクションにて当世コギャル事情を総力取材。ネタとして蓄積。
セックスマシンガンズをライブハウスで目撃。あまりの衝撃にプロダクションスタッフとしてお手伝いを始める。
健康のためにゴルフを始めてみたりする。

1997
林延年氏のアルバム制作。笠原留美、金月真美などを担当し声優ブームに便乗する。
育成していたボーカリストがデビュー目前にして男と逃げる。投資が水の泡に。
キューンレコード畑信弘氏に呼ばれ双子を紹介される。数回のミーティング中、顏の区別が付かず服の違いで名前を呼ぶ。
顏で区別が付くようになったころからFLIP FLAPのプロデュースを開始。
タイアップ至上主義のメジャーシーンにアンチテーゼを放つマシンガンズのライブ活動に励まされる。
非主流のエンタテーメントも大衆が欲していることを実感。イイモノはイイ。

1998
スーパードライ歌唱を再び柳ジョージ氏に依頼。FLIP FLAPを引き続きプロデュース。
フリフラレコーディング中にスタジオロビーでキューン畑氏とフュージョンについて語り合う。クラブサウンドを研究。
9月、畑氏から送られてきた航空券通りにオリエンテーリング。スペイン、イビサ島にてモデル今宿麻美以下10名と知りあう。
ハウスフュージョンユニットimajukuを結成。有名外人ミュージシャンにデモテープを送り付けゲスト参加を要請。
渡米。ロスアンジェルスでジェリーヘイ、ラッセルフェランテ、ヴィニーカリウタ、デイブバレンティン等と憧れのセッションを敢行。
隣でマライアキャリーやマリリンマンソンがレコーディングしているのを聞き耳立てる。DJやラッパー軍団と友達になる。
イタリア人風マフィアレコード?が毎回人を連れてチョコチョコ偵察に来るが、なんだったのか未だ不明。

1999
スーパードライはJAYWALKに依頼。長寿バンドに敬服。フリフラアルバムで清少納言とコンビ結成。なごむ。
2月、渡英。imajuku最終工程トラックダウン。スタジオ隣の場外馬券売り場に入り浸る。障害競走を楽しむ。
5月、imajukuデビュー。8月、アルバム"ibiza"リリース。12月、リミックスアルバムリリース。一部マニアにウケる。
imajuku効果で原稿やプロデュース依頼が舞い込む。世界総imajuku化をもくろむ。巷でイビサ島関連CDがヒット。関係ない。
自宅スタジオのデジタル化に有り金全部投入。一文無しに。マックで打ち込みをやっと覚える。

2000
アサヒスーパードライを降板。マイナー8ビートの楽曲制作から開放される。実はキリンビールも好き。
ハウスアイドルユニットCURVEをプロデュース。都内クラブライブ巡りでCDを手売り。クラブシーンのネットワークを構築。
DJブースでのフェーダーワークをカジる。病みつきになってエフェクターを数台購入。自宅DJ遊びを覚える。
元SEX MACHINEGUNSのスーパードラマーJOE再起ユニットDASEINデビュープロジェクトに忙殺される。
テクノとツーバスの融合を試みたサウンドに自信あり。アナログシンセを数台購入。オペレートにはまる。
アーロンプラネット向後氏、クロスリバー十川氏と六本木パトロール隊を結成。治安活動と称したナイトクラビングで盛り上がる。
9月、メンバーの力を結集し青山の人気クラブFaiにて六パトまつりなるイベントを主催。トントンでヤレヤレ。と思いきや
クルマをレッカー移動され、保管法違反で起訴される。東京区検察庁で略式裁判を初体験。罰金で赤字。
ヴェロフィルム吉野氏制作TBSの番組「地上波防衛軍」に出演。ウルトラ警備隊コスでFLIP FLAPの伴奏。
自信作「うちへ帰ろう」をリバイバルさせてくれた氏に感謝。

2001
ハイパービートロックDASEINのデビューを見届けた1月頃から体調を崩し入院、両肺重症肺気腫の診断を受け手術。
リハビリを経て奇跡のカムバックを果たす。一度死んだような気がして、様々な悟りを開く。少し大人になったような気もする。
友達の存在、仕事仲間の存在、オレを頼りにしている者たちの存在がオレをこの世に引き止めてくれたことに感謝。
しかし、周囲はオレが病人であることを忘れて仕事を積み上げる。自分が育てたマネージャー達が優秀なのも考えもの。なんとか期待に応えたいから
DASEINプロデュースの他、中沢裕子、モーニング娘の編曲、デジモン作編曲、キタキマユのプロデュース等、緻密に組まれたスケジュールを
綱渡りでこなす毎日。ホワイトボードに貼られたオーダー伝票を1枚ずつ剥がしていくモスバーガー方式のNK工場フル回転。
休む暇もなく働いて頂いたギャラをインテリアと楽器にツッコミ、またしてもスッテンテン。次回の入院費ぐらいとっておきたいところ。
生活の大きな変化は完全にタバコをやめたこと。空気の悪いクラブや競馬場が少し恋しい。
肺は完治していず、徐々に慣らせて、また駄目だったら入院して手術してもらえばイイか? と楽観的に生きることにする。
アコースティックとデジタルの融合を極めるべく自身のアルバム制作をスタート。未完成。


2002
DASEIN最前線から降板。後方支援に回る。
ハロープロジェクト関連の編曲、新人アーティストmegのプロデュース、豊嶋真千子などを担当。
長年つきあってきた双子アイドル・フリップフラップと初のライブセッションがNHK・FMの生放送で実現。
9月に訪れた上海のバブリーさにパワーを貰い、11月、中国語スクールに入学。果たしてマスター出来るのか否か???
某月刊誌で連載コラムがスタート。ペンネームが一つ増える。映像分野にも進出。ノンリニア編集を覚える。映像作家ネームも増える。
可能性が拡がった一年。といえばカッコイイが、多角経営で乗り切った一年。 樫原商店の行く末は昇天か? 笑天か?

2003
左足根幹症候群を発症。ビッコになった。歩行困難はチト辛い。西洋医学、東洋医学、どちらに頼るか迷い中。
megCIRCUIT.V.PANTHERのプロデュース、ハロープロジェクトの編曲、DASEINラストシングルのトラックコンポーズに復帰!
「走馬灯」でDASEINがオリコン最高位を獲得。ざまーみろ! 青山に向って言いたいことは山ほどあるが・・・
アニメはミルモでポン金色のガッシュベル関連曲を作編曲。「チチをもげ」なる真面目にふざけた曲がシングルヒット。
全国のPTAから下品な作家としてマークされるも開き直ってリミックスバージョンを更にリリース。
夏の武道館。長きにわたってスタッフとして携わらせてもらってきたSEX MACHINEGUNS解散に涙。至る所で万感の思いが押し寄せては涙。
間もなくソロ活動を始めたギタリストPANTHERのアルバムを制作→レコ発ライブのステージで何故かキーボーディストとして復活。
連載コラムの文字数が倍に増えて副業もテンヤワンヤ。ロビー活動を増やすも、成立するビジネスは日に日に少なくなりにけり。
エンターテーメント産業の行く末は三行広告よりも夢がなくなりつつある。なんとかしないと・・・。

2004
CIRCUIT.V.PANTHERの2ndアルバムプロデュース。金色のガッシュベル挿入歌「チチをもげ」がロングセラーに。
トランスバージョンに飽き足らず音頭バージョンもリリース。夏休み、全国の劇場でボインボイーン!
アイドルは市川由衣美保唯に楽曲を提供。なんだかんだいってアイドルJポップも好き!
月刊誌に連載していたコラムが3年を期に終了。少し肩の荷が下りる。
後々、三年分の原稿をウェブで公開する予定。冒険家としてオレがイキタアカシ。
音楽業界の行く末が危うくなるのも巻き返すのも全てはITソリューションの手によると思っていたら、
その手の業界のキーパーソンと次々とお知り合いになり世話になる。最良のコラボ形態を模索中。

2005
新宿駅前のストリートライブを見てスカウトしたツバメスケッチのメジャーデビュープロジェクトに忙殺される。
12月にエピックレコードからデビューさせることに成功するも油断大敵。鋭意推進中の最重要プロジェクト。
再結成したSEX MACHINEGUNSのナッシュビルレコーディングを偵察に。アメリカでの初ライブでも実力通り盛り上がり、秘かに涙。
CIRCUIT.V.PANTHERソロプロジェクトから派生したインストユニット・ELLEGUNSの1st アルバムをプロデュース。
アニメは金色のガッシュベル関連のキャラソンを数曲。ふたりはプリキュア関連曲の編曲など。

2006
エピックレコードからデビューさせたツバメスケッチのアルバム制作&ライブ展開等のプロモーションを陣頭指揮。
セクシャルキッスレコードなるセクシーなレーベルにて日高ゆりあ、倖田梨紗のデビューCDをプロデュース。ハアハア。
8/26六本木morphで音楽生活25周年記念イベントを開催(主催インフォガレージ池田氏)。朝まで大いに盛り上がる。
秋元康氏プロデュースのAKB48へ楽曲提供とアレンジワーク。アキバ炎上の起爆剤を垣間見てドキドキ。
劇団シニアグラフィティというハロープロジェクトから派生したミュージカルの音楽を担当。お芝居にも興味津々。
歌姫・柏原芳恵嬢のスペシャルなカバーアルバムをプロデュース。今も変わらぬ艶っぽいボーカルとオレが狙いまくったトラックとの融合に満足。
苦楽を共にした盟友達と永遠のお別れが相次いだ年。みんな早過ぎるぜ!!また会おう!!

2007
294(つくし)という癒し系ガールズポップユニットをデビューさせ、プロモーションにインターネットメディアをフル活用した結果、二人の多才さが芸能界から評価され、活動範囲拡大中。
世界を席巻中の動画投稿サイトYouTubeでのニョキニョキぶりが評価されシークレットパーティーに招待され、創始者スティーブチェン氏と会談。
ヴァイオリニスト・伊藤佳奈子のレコ発ライブにピアニストとしてオンステージ。フル尺の板付きは厳しかったけど楽しかった。
薄毛を母親から指摘され資生堂アデノゲンを試したところ毛が生えてきてビックリ(笑)絶賛育毛中!持病に睡眠時無呼吸症候群と糖尿病を追加。人生、日々覚悟なり。
後藤真希座長公演・横須賀ストーリーの劇伴を担当。大人になったゴマキにドキマギ。
お笑い芸人小梅太夫のシングルプロデュース、歌姫・柏原芳恵嬢のシングルを作編曲プロデュース。
下北半島から下北沢にやってきた歌姫mammySinoと子守歌アルバムの制作。レーベルプロデューサー向後高士氏とガッツリ組んだ自信作完成。
ストリートでスカウトしメジャーデビューさせたツバメスケッチのギブアップに残念無念。散っていった若者達の未来に幸あれ。船頭の難しさを痛感。
RickyがDASEIN解散後に結成したユニット・RAP解散を見届ける。発展的散会には大賛成。
大恐慌時代突入の音楽業界でどこまで頑張れるか不安になりつつ諦めず。

2008
ニョキニョキ娘294(つくし)の世界平和活動を大プッシュ。歌とお笑いの融合と平和活動。YouTubeで本格的にブレイク。海外からの取材申込が殺到するも・・・。
AKB48の作編曲をチラホラ。「桜の花びらたち2008」で久々にオリコンベスト10に名前載るw。
ピアノとカホーンの二人組インストユニット→Pia-no-jaC←をプロデュース。ヴィレッジヴァンガードで大ブレイク。
CDが売れない時代に売れるCDを作れたことがキセキ。そんなキセキに続けということで、
イリュージョンとポップスの融合を試みるアイドルユニット・プリマべーラの制作に突入。
そのまんま美川さんの初CD制作を堀江淳プロデューサーから水割りではなく編曲を所望される。
元DASEINのボーカリストRickyソロプロジェクトスタート。かつての弟子からアレンジャーに任命される。嬉しいね〜
年末に白井貴子さん小比類巻かほるさんとTV特番でセッション。懐かしぃ〜(j_j)
禿げと闘うべく、育毛剤のテスト三昧。効果アリ! そして糖尿病の宣告にガクブル・・・。


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