創作ノート3 2001.10.30
松平頼則氏を追悼する
松平氏が先週の木曜日にお亡くなりになった。あまりに急なことだったし、わたしは、作曲家としての松平氏のあり方をとても尊敬していたので、大変ショックを受けている。通夜の日に氏を長年支え続けていらした竹島さんにお話をお伺いしたところ、氏は体調を崩される直前まで作曲を続けていて、大変活発な精神活動の状態だったと言う。今年前半には、「ピアノ協奏曲」を作曲され、そのスコアは今わたしの目の前にある。それは94歳の手になるものとは思えないほど若々しい。竹島さんはここのところずっと毎週火曜日に氏のもとを訪れ、音楽談義に花がさいていたという。なくなる前々日も、氏はすこぶるお元気で、実は「ピアノ協奏曲」は一応二重線を引いたのだが、第2楽章が心残りであり改作したいのだ、ともらしたらしい。このような大作をものにされたので、さすがに夏の間は少し疲れていらしたようだが、秋になって回復された氏は、ソプラノ、フルート、ピアノのための新作に打ち込んでいらしたらしいが、それも未完に終わった。残念なことである。
松平氏とはじめてお目にかかったのは、90年に日本に帰ってきてすぐ、フランス時代に知り合いだったソプラノの奈良ゆみさんと、氏の朗詠「二星」を録音することになった時だ。そのピアノ演奏や作品を気に入っていただいて、おつきあいが深まった。昨年、ピアノ・リサイタルを開いた際に、もはやお年がお年なので無理かなと思ったが、ぜひ氏に新作を書いていただきたかったので思いきって委嘱してみることにした。リサイタルの約一年ちょっと前、氏の最初の返事は「ここのところ体調があまりかんばしくないので無理」ということだった。失望したが仕方ないので別のプログラムを考えようとした。リサイタルの三ヶ月前だったが、そろそろチラシを印刷しなくてはと思っていると、ある日突然氏からはがきが届いた。そこには「貴殿に頼まれた曲は、あと数日で仕上がります」というものだった。あれ、あの時断られたのではなかったのか、と思ったが、ひょっとして氏は断ったことも忘れてしまったのではないか、とも思った。おかげで雅楽の旋律線を生かした「運動」という曲が出来、無事初演と録音を済ませた。
素晴らしい作曲家だというのは衆目の一致するところだろうが、録音は驚くほど少ない。ピアノ曲は是非まとめて録音したいと思っていたが、ちょうどNHKの「現代の音楽」で氏の「フィギュール・ソノール」を録音した際のディレクターが協力してくれて、NHKの資料室にあったかなりのピアノ曲が集まった。また氏自身も貴重な楽譜を送ってくださり、彼のピアノ曲集を録音することになった。それは全部演奏すると、ゆうにCD3枚分を超える分量であり、初期から晩年まで作風の変遷をたどれる貴重な音資料となるはずである。代表作の「越天楽による主題と変奏」の原形となった曲をはじめ、その中には歴史的に見ても貴重なものが少なくない。それだけでなく、例えばもはや忘れられてしまった戦前の作品の中にも、新古典的な作風ではあるがとても音楽的に充実した作品が多い。残念ながら選集として1枚分しか録音できなかった。まだ編集もすんでいない状態で、生前に氏のもとにお届けできなかったのがくやまれてならない。
7月にNAXOSで松平作品集を録音した際、時間がなくて「越天楽の主題と変奏」のみを録音し、最初に計画にあった「ピアノと管弦楽のための三楽章」という、オケもピアノも双方のパートが不確定性で進行するような、途方もなく大変そうな曲ができなかったのも今となっては悔やまれる。無理してでもやっておくべきだったかもしれない。今度いつになったら実現できるかわからないし。
(関連記事は、http://www.exmusica.com/serial/bagatelles17.htm)
生涯現役、そして94にして、まだまだ表現したいことがありあまっていらしたらしい。
とにかく御冥福をお祈りしたい。そしてわたしはできる限り、彼の作品を演奏し続けていきたいと思っている。