| 昔、聞いた講演や今まで勉強したことをふまえてもっとも印象に残った物を記憶を掘り起こしながら纏めてみました。これから情報産業に努めようと考えている人は基礎知識として知っていると為になるでしょう。2000年11月11日 |
| 1.はじめに これからのコンピュータ業界はどうなるのか?多くの人が思っている疑問であるが、この疑問に自信をもって答えられる人はどれくらいいるのだろうか。非常に難しい問題であるが、これを考えないことにはこの業界で仕事をすることはできない。そこで、過去の歴史を振り返り、未来を予想することにしよう。 今のコンピュータ業界は30年前から進歩していない。ハードウエアのアーキテクチャという点でも、ビジネスモデルという点でもである。ハードウエアは早く小さくなったが、基本的な構造は何一つ変わっていない。ビジネスモデルも、成功したIBMのビジネスモデルを今も繰り返し使用しているだけである。 コンピュータ業界を振り返る時に、基幹系システムと、情報系システムに分けて考えるとわかりやすい。このため、歴史を2つに分けて見ていくことにする。基幹系システムとは、止まってはいけないシステムであり、情報系システムとは、止まっても良いシステムのことである。 2.基幹系システム 2.1 IBM360 基幹系システムの代表はメインフレームである。メインフレームといえばIBM360と、いわれるくらい世界を席巻したコンピュータである。まずは、ここからはじめよう。 その昔、IBMはユニシスの販売会社であった。ユニシスが作っていた業務機器を売っていた。ところが、ユニシスが新しくコンピュータを作り、それをIBMを通さずに客に直接売ると言い出した。これでは、IBMは商売あがったりである。そこで、IBMもコンピュータを作ろうとした。しかし、もともとが販売会社なのでコンピュータなど作れるわけが無い。そこで、全米から技術者を集めコンピュータを作り始めたが、なかなか成功しなかった。最後の作戦として、IBM360を投入するのである。 IBM360を売るためにさまざまな作戦を展開した。その作戦とは「恐怖のマーケティング」である。まず、ターゲットとする業界を決める。そこに、これからはコンピュータがないと仕事ができないと不安心をあおる噂を流す。その噂が広まったころに、業界1位の企業に行き、売り込むのである。しかし、コンピュータなしで今までやってきたので必要ないといわれればそれまでである。そこで、「レンタルという制度があります。これなら初期投資が安くて済みますよ。」と売り込んだ。いらないときはすぐに返せばいいですよといって売り込んだ。それでもだめな場合は、それでは3ヶ月無料でお貸ししますといって、コンピュータを置いてきてしまうのだ。そして、マスコミに行って「A社にIBMのコンピュータ導入」と新聞の見出しをうってもらうのである。業界1位の企業が導入したら、それ以下の企業は恐怖により、同様にIBMのコンピュータを導入するのである。このようにして、一気にIBMのコンピュータをばらまいたのである。 コンピュータは非常に重いので、地下室に置くのが普通だった。そこにコンピュータを操作する室を作り、コンピュータを管理する人を設定した。これにより、計算機室とシステム管理者が誕生した。プログラマの業界が昼夜や季節感が無い職業になったのは、このように計算機室が地下に作られた影響が色濃く残ったものと考えられる。そして、その人たちにCOBOLを教えてプログラムを作らせたのである。この人たちがユーザである。そして、実際にそのプログラムを使う人たちをエンドユーザというようになった。 このようにして、IBMが成功したため、大手企業もコンピュータを売り込み始めた。IBMよりも体力がある大手企業は、IBMよりも速いコンピュータをIBMがつぶれるまで安い価格で売りつづければよいのである。IBMとしては、他の企業にリプレースされてしまっては大変なので、客に逃げられないようにしなければならない。COBOLはもともと公開されている言語であるため、同じものを他の企業が作ることはたやすい。しかし、プログラムはCOBOLとOSの一部を使って動作する。このため、IBMはOSの部分をクローズドにしIBMのマシンで作ったCOBOLプログラムはIBMのOSでしか動かないようにしたのである。これにより、IBMは客を逃がさないことに成功した。 IBMが次にとった戦略は上位互換戦略である。バージョン1のOSの上に少しソフトウエアを足しバージョン2としてユーザに提供するのである。コンピュータの部品の中で一番高い部品はメモリーである。OSは常にメモリー上に常駐している。つまり、OSのバージョンアップをするごとに、ユーザが自由に使えるメモリーは少なくなってしまう。メモリーが少なくなるとスワップが頻繁に発生しコンピュータが遅くなる。コンピュータが遅くなるとエンドユーザが怒るので、IBMのサポート員を呼んでメモリーを追加してもらうことになる。同時にレンタル料が上がることになる。このように、バージョンアップをすればするほどレンタル量が上がるという仕組みを作ってしまったのである。しかし、賢いユーザは「新しい機能は要らない、今のままでよい」というだろう。そのときは、IBMはサポートをキーワードに出すのである。新しいOSはサポートするが古いものはサポートしないようにした。これで、いやがおでもバージョンアップせざるを得ない状況にユーザをもっていった。 これにより、IBMは一躍巨大企業へと成長していったのである。なんといってもメインフレームは儲かるものなのである。粗利益が90%というとんでもない製品なのである。 2.2 日本上陸 しかし独占企業はいいことばかりではい。トラスト法(独占禁止法)によりIBMは分割を迫られた。これをかわすためにIBMはシェアを70%におさえ、他の企業を生かす政策をした。アメリカ国内ではこれ以上売上を伸ばせないため、IBMは世界をターゲットにした。まずヨーロッパに上陸し、各国でシェアを独占しその国のコンピュータメーカーをことごとくつぶしていった。世界中でシェアを独占し、その国独自のメーカーをつぶし、最後に、日本に上陸した。そして、あっという間に日本市場はIBM一色になった。当時、コンピュータを作っていたのは、通産省よりの家電系メーカ、松下、ソニー、日立、東芝、三菱などと、郵政省よりの電電公社系メーカの、NEC、沖、富士通であった。松下、ソニーは早々と撤退し、残り6社がコンピュータを作っていた。日本政府は、IBMに対抗するために6社に補助金を出していた。 このような時に、田中角栄が登場した。「田中角栄10倍論」である。6社にばらばらに出さずに、1社にまとめて出すと言い出したのである。しかも、10年間払うんならまとめて払ってしまえということで、1社に10年分まとめて払うからIBMと戦えというのである。しかし、1社だけというのはという反対があり、それではということで、グループを作った。1軍、2軍、3軍を作り、1軍にはお金を出すからIBMと戦う、2軍は金は出さないが日本オリジナルでやる、3軍は事業撤退、とした。当時一番元気があった富士通が1軍に決まり、そのパートナーを誰にするかが注目されていた。当時はNECが最有力と見られていたが、ふたを開けてみると日立であった。このときからNECと富士通は仲が悪くなったのである。2軍はNECと東芝、3軍は三菱と沖になった。 田中角栄は、1軍にIBMのクローンを作れと命じた。2軍は独自のACOS、3軍はCOSMOというメインフレームを作った。国をあげてIBMのクローンを作ったのである。さらに、田中角栄は日本企業に、「新日鉄は日立にしろ。2割引。」、「神戸製鋼は富士通だ。」と電話をした。これにより、一気にIBMは国産にリプレースされた。しかし、IBMのシェア1位を保つために、金額ベースのシェアで示し、IBM25%強、日立25%、富士通25%、NEC15%というシェアになった。 さすがにこれにIBMが怒り、アメリカ政府を動かし、日本に外圧をかけソフトウエアを守るように著作権法を改正させた。さらに、絶対にクローンが作れないすごいコンピュータをIBMが作ったという噂を日本に流した。日立はその噂に載せられてしまい、日立のアメリカ支部にクローンを開発した技術者4人を派遣させた。そこに、IBMとFBIが作った偽のコンサルティング会社から電話がかかり、IBMの新しいコンピュータに関する資料が手に入ったので見にこないかと誘いをかけた。日立の技術者は何も知らずに、知らされた場所に行き、資料を開いた瞬間にFBIが入ってきて産業スパイとして逮捕された。IBMは日立に技術者を返しても良いが、メインフレームを売るときはIBMの検査が必要だという取引を提案したのである。これは、事実上IBMの子会社としてクローンを売るということである。日立は仕方なくこの提案を受け入れた。 その半年後、富士通に対して甘い契約を誘ってきた。富士通はもちろん契約したが、実はその契約書にはトラップがしかけてあった。数ヵ月後IBMは、そのトラップを根拠に富士通を訴えた。富士通に対して払いきれない賠償金を請求してきたのである。富士通に残された道は、IBMに買収されるか、IBMと戦うかである。富士通はIBMと戦う道を選んだ。今までは、IBMのシェアを1位にしなければいけないために富士通のシェアは25%であったが、今やIBMと戦っているのでそれを気にすることは無いということで、富士通のシェアは30%になった。この戦いが続いていくが、その間にメインフレーム市場が元気が無くなり、次第にオープンな時代に移行していくことになるのである。 この戦いに参加しなかった企業がある。それがNECである。NECは独自のACOSというメインフレームであるため、IBMとの戦いは対岸の火事であった。ACOSは東芝との共同開発であるが、東芝のほうは売れなかった。NECはもともと官公庁に強かったということもあるが、NECはメインフレームより小さいACOS中を作ったのである。東芝とはACOS大の共同開発をしていたので、ACOS中はNEC独自であった。さらにACOS小も作り、省庁の省−局−事務所の各規模に応じて、ACOS大中小を導入した。これにより、15%というシェアを獲得したのである。これはある意味驚異的なことであった。 2.3 ピーク '88年から'90年にかけて、システム開発のピークがあった。このときに、金融3次オンライン化(銀行と企業、家庭を結ぶ)、公共事業(電力、ガス、JR)、消費税、元号が重なり日本のシステム開発能力を超えた需要が発生した。そのため、今までプログラマだった人がSEになった。さらに、忙しくなると、新入社員がSEとなった。これにより、ぼろぼろのシステムが大量にできてしまった。今なお、そのシステムが多く動いている。一度ピークを出してしまうと、リプレースの時期が重なるので延々とピークが繰り返されてしまうのである。 2001年にもう一度、ピークがきそうである。金融ビックバン、省庁統合、会計基準改正、消費税率改正などである。 このように、開発リソースが足りないとどうなるか。これからは、客の言う通りに作るのではなく、こちらの作れるものしか売らないということになる。つまり、ERPなどのパッケージソフトを売るということである。こうなるとどうなるか。これからは、SEやプログラマなどではなく、2種類の職種しかなくなる。つまり、ソリューションを行う人と、パッケージソフトを作る人である。 3.情報系システム 3.1 IBM PCの誕生 当時、パソコンはCP/Mが主流であった。そこに、天才スティーブ・ジョブスが、新しいコンセプトでパーソナルコンピュータを作り出した。それは、子供向けのPCである。金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃん向けのPCである。これがアップルである。小さい子供向けであるから、字が読めないかもしれない。そのために文字ではなく、マンガ=GUIである必要があった。さらにキーボードではわかりにくいので、マウスをつけた。この子供向けパソコンを見た親が、会社で使うコンピュータは難しいのに、子供でも使えるパソコンがあるのなら、これをビジネスに使いたいという要望がアップルに殺到した。これにより、アップルは子供向けから企業向けに、事業転換することになる。 企業向けを作るにあたり、プログラム言語をのせなければならなかった。そのときにアップルに売りにきたのが若き日のビルゲイツである。インタプリタ言語であったBASICをコンパイラにしたMS-BASICを売りにきたのである。このBASICを搭載した企業向けパソコンLisaを売り出した。しかし、Lisaという名前は秘書と言う意味であり、当時の秘書協会が秘書の仕事がコンピュータに奪われると反対したため、普及しなかった。次に、アップルは部下を持っていない平社員をターゲットに、マッキントッシュを開発した。マックというのは、すばしっこい元気の良い少年のイメージがあり、仕事を頼むとてきぱきやってくれるというコンセプトであった。 これに反応したのがIBMである。今までは子供向けであったので良かったが、IBMの領域である企業向けとなったら話は別である。アップルがコンセプトを発表してから、実際に製品を出荷するまでの半年間に対抗する製品を出すことにした。何の制約も無い場合は、アップルが倒産するまで安価でパソコンを売りつづければよいのだが、トラスト法の関係で経理をすべて公表しなければいけなかったので、IBMが赤字を出さずに安くパソコンを作る必要があった。早く安く作るために、外部から部品を買ってきた。まず、CPUはインテルから買ってきた。次にOSであるが、IBM自身では作る技術が無かったので、16ビット版CP/Mを買う予定だったが、作者が価格引き上げのために2ヶ月の旅行に出てしまった。IBMは2ヶ月待てばよかったが、あせっていたIBMはマイクロソフトにOSはないかと話をもちかけた。当時quick and dirty OSとして有名だったQDOSに目をつけたマイクロソフトはこれをIBMにもっていった。さすがのIBMも、これはやめてくれといった。しかし、マイクロソフトはあと半年できれいなOSにするからということで、IBMの了解を取り付けた。結局はきれいにならなかったのだが。 これで、すべての部品は整ったわけだが、すべてが外部からの調達より、他の企業も同じ部品を手に入れれば同じ物ができてしまう。そこで、IBMはCPUとメモリーをつなぐバスをクローズドにし、他の企業にコピー商品を出させないようにした。 半年後に製品が出て競争が始まって、資金量からIBMが勝つかに思えたが現実はそれより速く動いたのである。コンパックに勤めていた台湾人がIBMが出すパソコンのアーキテクチャーはこうなるはずだという文章を台湾の雑誌に発表してしまったのである。CPUはインテルから手に入り、OSはマイクロソフトから手に入り、設計図は台湾の雑誌から手に入るとなれば、IBMと同じ物ができてしまうのである。これにより、IBMがクローズドにしたかったバスアーキテクチャが一般に公開されてしまい、多数の互換機メーカーが登場するのである。 3.2 32ビットPCの戦い 32ビットに移行するにあたり、IBMは新しく32ビットのバスアーキテクチャを開発し公開した。隠してもリバースエンジニアリングですぐに解読されてしまうからである。ただし、公開するかわりにライセンス料を取ろうと思ったのである。しかし、これもうまくはいかなかった。ライセンス料を払うということは互換機メーカーにとってはコストアップになり競争力を失ってしまうことにつながる。そこで、IBMにお金を払うくらいならと、従来の16ビットバスを2本束ねて32ビットバスとしたのである。 ここにきて、ようやくIBMは気が付いたのである。OSを持っていないと儲からないということにである。そこで、IBMはOS作ることにしたが自力で作る技術力は無いのでマイクロソフトに依頼することにした。ここでOSのコアな部分はIBMの持っている技術を使うという契約をし、マイクロソフトに真似製品を出させないようにした。ところが、マイクロソフトが出せないはずの真似製品を、IBMがOS/2を発表した次の日にWindows3.0として発表した。結局、Windows3.0はきちんと動かなかったのだが、ソフトベンダーの取り込みに成功したため、Windows3.1でブレイクしたのである。 この状態になっても、まだIBMはサーバーの分野では勝てると思っていたのである。今まで培ってきたサーバの技術でマイクロソフトに勝てると思ったのである。サーバ側で処理をすればクライアントOSは何でも良いということがあるからである。マイクロソフトには新たにサーバOSを開発するだけの技術力は無いと考えていたのである。 このIBMの読みは正しかった。しかし、マイクロソフトは技術力は無くても金さえあれば何でもできことに気が付いたのである。無いものは買ってくればよい。そこで、DECのVAX用OSであるVMSのエンジニアを引き抜いたのである。そして、一からPC用にOSを作った。Vの次のアルファベットはW、Mの次のアルファベットはN、Sの次のアルファベットはTということで、WindowsNTという名前になった。そして、サーバーの分野でも、マイクロソフトが買ったのである。 本来は、OS/2は、dos+windows+αであるため、DOSプログラムや、Windows系のソフトとは親和性が高いのである。つまり、昔のソフトを動かすためには、まったく新しいOSであるWindowsNTよりもOS/2の方が良いのである。しかし、マイクロソフトという名前や、Windowsという同じ名前がついているということからWindowsNTが使われるケースが多かった。 3.3 これから この業界は、OSメーカー、すなわちマイクロソフトしか儲からなかった。ハードメーカーは単純に価格競争だけになり、利益を出すことができなかった。アプリケーションメーカーは、良いアイデアでソフトを作ったとしても、同じ物をマイクロソフトが無料でOSにつけてしまえば商売上がったりである。どうしてこうなったのか。それは、メインフレームの時代にIBMが作ったビジネスモデルをいまだに使いつづけているところにある。つまり、OSを持っているところが儲かるということである。 これを打開しようと、各メーカーは探しつづけていたが、ようやくその解が見つかった。それが、Linuxである。OSを無料にしてしまえば、アプリケーションを無料にするわけにはいかなくなる。そうなれば、アプリケーションメーカーも商売ができるようになる。つまり、オラクルなどERPパッケージを売るときに、別にWindowsNTである必要は無く、Linuxでよいのである。ユーザーから見ればERPアプリケーションが動いていれば言い訳で、その中でどんなOSが動こうが関係ないのである。 インターネットが普及し、Webブラウザが普及したことによって大幅なコストダウンが達成できた。それは、みなが同一のものを使うということによって、機種ごとの画面サイズやレイアウトを考える必要が無いということである。ただ単にHTMLによってページを作ってしまえばよいのである。 このコストダウンによって、この種のマーケットが無くなってしまったのである。それでは企業は何で設ければよいのか。それは、セキュリティーで儲けるということである。インターネットは、自由である。自由であるがゆえに便利であるが、企業は自由では困るのである。鍵のかからないドアばかりでは危なくて商売などできやしない。つまり、インターネットが普及したが、その上で商売をすることはできない。そこで、セキュリティのある新しいサービスを提供する必要がある。ただし、それはもはやインターネットではない。インターネットは自由である必要があるからだ。つまり、インターネットビジネスと言いつつもインターネットではないものを創出しなければならないのである。 |